さりはま書房徒然日誌2024年10月27日(日)

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』(田畑書店)が我が家にも到着した!

ー信濃大町の風が吹いてくるような装丁ー


丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』(田畑書店)が我が家にも到着。待ちに待った丸山先生の新作エッセイとの家での対面となる。

装丁で丸山先生の世界をすべて表現しているようで素敵。
信濃大町の丸山先生の庭を思わせるような表紙の緑には、雪をかぶった北アルプスの稜線の絵がラインでお洒落に描かれている。

緑の表紙には、丸山先生の人柄さながらに小さく白字で「丸山健二」と控えめに記されている。
見返し部分は雪のような優しいクリーム色めいた白。

帯も扉も同じ黒。この黒はもしかしたらNTラシャ黒の中でも黒が一番濃い「漆黒」なのでは?と私の手元にある「漆黒」と比べる。
実は田畑書店のポケットアンソロジーを糸でかがって、NTラシャ「漆黒」で表紙をつけて鞄に入れて毎日持ち歩いているのだ。
比べてみるとやはり同じ色のような気がして、何だか嬉しい。写真ではこの黒を綺麗に再現できないのが残念。

この帯は、通常の帯と比べてかなりデカくてインパクトがある。もしかしたら製本機械で帯を折るのは無理だったのでは?田畑書店の方々が手で折ったのでは?と色々想像する。
大きな帯にも、扉にも黒を使われたのは、丸山先生のシンボルカラーが黒だからなのでは?至る所に丸山先生へのレスペクトを感じる装丁である。
帯には金のラインで北アルプスの稜線が絵が描かれている、朝日?夕焼け?どっちなのだろうか?
扉絵は雪をかぶった北アルプスの稜線だろう、銀色のラインで絵が描かれている。

手にしただけで信濃大町の自然がどどっと雪崩れ込んでくる。
さらにページを開けて、丸山先生の文を読み始めると完全に大町にいる感じになる。でもその感想はまた後日。


とにかく手にした瞬間に紙の本の醍醐味、丸山先生の世界を味わうことのできる装丁である。もちろん丸山先生の文は切なくなってくるほど大町から世界を書いている。それについてはまた後日。

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さりはま書房徒然日誌2024年10月26日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』十月六日を読む

ーキツツキのドラミングが意識に働きかけるー

十月六日は「私はキツツキだ」で始まる。キツツキがうたかた町の人間模様を語る。

以下引用文。日頃キツツキを眺めて暮らしている丸山先生らしい文だと思った。

才覚以上の山気に富んだ男は
   私が鞭打ち症にならない謎を解き明かし
      画期的なヘルメットを発明してひと儲けを企み、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』282頁)

キツツキのドラミングが契機となって、様々な人間達が色々な思いや過去を連想していく有様が面白い。確かにキツツキの鋭い連打は意識を揺さぶるものがあるのかもしれない。

一兵卒として大陸へ送られ
   命じられるままに暴虐の限りを尽くしたことを
      今でも戦功と固く信じてやまぬ男は
         私が立てる音から重機関銃を連想して
            全身の血を大いに沸かせる。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』283頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月25日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』十月五日を読む

ー素朴な美しい言葉ー

十月五日は「私は奢りだ」で始まる。少年世一の、盲目の少女と彼女の飼い犬への奢りが語る。
以下引用文。「ただ青いだけ」という世一の言葉も、「おもむろに天と地を示した」という終わり方も、理解を超えた美しい何かをあらわしているような気がする。

少女がほっそりした指で沖の方を示すと
   すかさず世一は
      「ただ青いだけ」と的確な答えを提示し、

少女と犬と母親が軽自動車で去ったあと
   世一は震える二本の人差し指を用いて
      おもむろに天と地を示した。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』281頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月24日(木)

ー製本講座で布の裏打ちに挑戦ー

手製本工房まるみず組製本講座基礎コース第4回で、布の裏打ち、本の表紙に使う布の裏側に紙を貼る技術を教わる。

裏打ちには和紙、包装紙、ピュアガードなど、色んな紙が使えること……
新聞に入っているチラシや菓子折りの包装でも裏打ちができること……
仕上がりの感触を考えて接着剤も変えること……など初めて知ることばかりである。


包装紙でも裏打ちに使えるなら大切にしなくては……と思うものの、相変わらず私は不器用。布を裁つのも真っ直ぐのつもりがジグザグになるし、水で濡らした紙を布にかけようとつまんだら水の重みで「ビリリ」と破けたり……前途多難である。

でも自分でモノをつくるという機会が失われつつある現代、時間をかければ自分の手でオンリーワンの本がなんとか出来上がる……のは楽しみ。頑張ろう。

布はユザワヤのネットショッピングで購入したウイリアム・モリス柄。これでバインダー、和本、布装ノート、夫婦箱を作る予定 。どうかうまくいきますように。

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さりはま書房徒然日誌2024年10月23日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』十月三日を読む

ーダメになっていくのもどこかユーモラスー

十月三日は「私は馬肉だ」で始まり、落ちこぼれた青年によって河原でさくら鍋にされている馬肉が語る。
以下引用文。「落ちこぼれた若者」に及ぼすさくら鍋の効果にびっくり。

ついで
   富者と貧者をきっちり分別したがる
      時の権力の壁を苦もなく取り払う力を与え、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』268頁)

以下引用文。「たったコップ一杯の焼酎」のせいで、若者のやる気がみるみる崩されてゆく様子が「焦げ付いた私」によってユーモラスに語られている。

その大鼾には自暴自棄と遣りきなさと
   破滅を導く悲しみとが込められていて
      鍋底に焦げ付いた私が立ち昇らせる煙と
         なぜかよく調和している。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』269頁)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月22日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二十九日を読む

ー心に残る象ー

九月二十九日は「私はサーカスだ」と、まほろ町を訪れた「二流にも属さぬ お粗末なサーカス」が語る。
以下引用文。お粗末なサーカスの象の哀れな様子が心に残る。「夜になると涙を流していた」という文が、象の佇まいや目を思い浮かべると、しっくりくるものがある。

その象にしても
   かなり老いぼれて
      耳はずたずたに破れ、

頼みの象使いに出奔されてしまったために
   今では単なる客寄せの道具に成り下がり、

それか知らずか
   夜になると涙を流していた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』254ページ)

以下引用文。サーカスの観客席から青い鳥の声を発しながら大はしゃぎで象を眺める世一。「疑問符の形」という表現が、何に対する疑問符なのだろうか……と考えてしまう。

彼の動きを真似て悲しい巨体をさかんにくねらせたかと思うと
   まだ誰からも教えられていない
      まるめた鼻を疑問符の形にするという
         前代未聞の新しい芸を
            さも得意げに披露したのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』257ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月22日(火)

製本の復習をしたけど失敗!

製本基礎講座の二回目で習った糊を使わない製本の復習をする。だが失敗。

二週間前にやったばかりなのに「どうやったのだろう?」と立ち止まる。でも頂いた詳しい資料があるから大丈夫と安心して、きちんと全部読まないで作業したのが主な敗因。
よく読んでみたら
「最後また使いますので残しておく(かがり糸の最初の部分のこと)」
「裏側の紙は、一番小口側の穴だけ開けないで下さい」とちゃんと資料に書いてある。
でも糸は切ってしまった!一箇所小口がわに穴を開けてしまった!と切ってから、穴を開けてから、ハッと自分のミスに気がつく。

そのようなわけで失敗作になってしまったが、製本の復習をしてみると、これでもかこれでもかと自分が分かっていなかったところを認識する。

講座のときは失敗作にならないように先生が見守ってくれていたのだなとあらためて感謝する。

それから今回の復習には、田畑書店ポケットアンソロジーより宮沢賢治「ポラーノの広場」上、中、下を使用した。ポケットアンソロジーは紙の質がいいのだろう。切り込みを入れたり、糸でかがるときに抵抗感があってモタモタ苦労した。

でも軽い紙の表紙をつけ、糸でかがると、ポケットアンソロジーは軽々としていながら丈夫で読みやすさがアップする。失敗作とはいえ、読むのには支障はなく読みやすさはアップした。
ポケットアンソロジーでの製本の復習にハマってしまいそうである。
↓(悲しの失敗作)

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さりはま書房徒然日誌2024年10月20日(日)

神奈川県立図書館ボランティア朗読会「秋といえば……」へ

神奈川県立図書館Lib活1期生の方々が二年かけて積み重ねてこられた朗読の学びを発表するボランティア朗読会、今回は1期生の活動の最後となる卒業発表だそうだ。楽しみなような、寂しいような心持ちで紅葉坂の急な坂を登る。
活動の様子を拝見していると、Lib活の皆さんもこの急な坂を足繁く登り、朗読の練習をされたり、朗読会に向けて企画をされたりしていたようである。暑い日、雨の日は大変だったろう……と思いつつ、座れそうな場所を見つけては休み休み紅葉坂を登る。


今回のテーマは「秋といえば……」で、朗読者其々が秋に因んだ作品を選び朗読して下さった。中には懐かしい作品もあれば、知らない作品もあって、朗読を聴きながら「読んでみたいな」と思う。

今回、朗読して頂いた作品。
・『としょかんライオン』ミシェル・ヌードセン
・『アガワ家の危ない食卓』『風々録その後』より「混沌の秘境」阿川佐知子
・『日本の文学34 内田百閒・牧野信一・稲垣足穂』より「件(くだん)」
・『ごくらくちんみ』より「ぎんなん」杉浦日向子
・『校訂 新美南吉全集第十巻』より「権狐 赤い鳥に投ず」新美南吉

↓写真はプログラムより。朗読者よりのひとことも興味深い。

拝聴しながら思ったのは、それぞれの方の声や読み方の個性と作品世界の特徴がぴったりマッチして、一体化しているということ。「秋といえば……」というテーマで、各人が思い入れのある作品を朗読してくださったからなのだろう。

たとえば、『アガワ家の危ない食卓』「混沌の秘境」の朗読では、まさに混沌の秘境と化した実家の冷蔵庫を片そうとする娘と母のユーモラスなやり取りが、娘の冷蔵庫の様子へのかすかな嫌悪感やら驚き、母親の少し言い訳するようなトーンの朗読によって生き生きと浮かんできた。
もしかしたら朗読者の方の、自分の母親を気遣う気持ちも滲んでいるのでは……と思うほど情のこもった朗読だった。
冷蔵庫の様子に、娘が自分のバッグの様子を重ね、思わず発する嫌悪の言葉が、聞き手の私の心にも刺さってくる。「私もカバンの中を片さないと……」

朗読者を介して、見知らぬ大勢の人たちと作品世界を共有できたひとときのおかげか、紅葉坂のまだ青い紅葉の葉のトンネルが清々しい。帰りは足取り軽く坂を下った。
素晴らしいときをつくってくださった朗読者の方々、神奈川県立図書館に感謝!

またどこかでこのメンバーの朗読に再会する機会がありますように!

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さりはま書房徒然日誌2024年10月19日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二十五日を読む

ー生々しい筈の場面が不思議な感じを帯びてくるー

九月二十五日は「私はカレイだ」と、世一の姉が煮返そうと冷蔵庫から取り出したカレイが語る。
以下引用文。彼女の貯金を狙ってか結婚への甘い言葉を囁くストーヴ職人とのやり取りを振り返る姉。生々しいメロドラマになりやすい場面かと思うが、「深海魚」の例えや鍋の音から「わからん、わからん」という言葉に重ねることで、人間の世界を脱出して、なんとも愉しいメルヘン的色彩を帯びている気がする。

そんなことを呟く際の彼女の顔は
   ほかの魚をまる呑みにして生きてゆく深海魚にどこか似ており
      なんとも不気味で、

すっかり怯えきった私は、
   そうしたことを訊くならほかの者にしてはどうかと勧め、

しかし

   沸騰へ向かって突き進む鍋は
      「わからん、わからん」をくり返すばかりで、

その間にどんどん煮詰まってゆき
   せっかくのおかずが焦げ付き、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』241ページ)  

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さりはま書房徒然日誌2024年10月18日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二十四日を読む

ー自我とバランスを取り難くー

九月二十四日は「私は存在だ」で始まり、「少年世一の自我としての揺るぎない存在」が語る。

以下引用文を読み、人間とは自我を超えて過剰に怒ったり、喜こんだり、悲しんだりする生き物なのかもしれない……でも、そこが人間たる所以なのだろうか……そんなことを思った。

つまり世一は
   必要以上に私の前にしゃしゃり出ることもなければ
      私の背後からしぶしぶ付いてくるということもなく、

そうした生き方が可能なのは
   まほろ町ではおそらく彼ひとりくらいなもので、


しかしまあ
   人間以外の生き物では
      動物にしても植物にしても
         それが当たり前のことだった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』235頁)

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