さりはま書房徒然日誌2025年11月10日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月二十六日「私はあくびだ」を読む

「交通取り締まりの警官たちが連発する 半ば自嘲気味の」あくびが語る。

あくびは警官だけでなく、通りがかったヤクザ者にも、そして丸山先生を思わせる作家にも取り付く。

丸山作品に出てくる様々な、どこか弱い所のある人々の中に、明らかに丸山先生らしき人物が描かれていることがよくある気がする。

作者らしき人物が出現すると、虚構の世界が一気にリアリティを帯びてくる。

日に三時間ほどしか執筆せず
   あとはぶらぶらして過ごす男が
      ハンドルに装着した籠に熊の仔にそっくりなむく犬を載せて
         おんぼろのスクーターを駆って通る。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』256ページ)

そして以下引用文、丸山先生らしき作家が呟く言葉。

こんなふうに半ば呆れ、半ば愛情を込めてこの世を眺めているのか……と、丸山先生の視点から眺める気分になる。

小説家は
   「ああ、人間って奴はもうまったく」と呟き、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』257ページ)



↑ 茄子を描いたつもりだったが、複数の友人から「ゴキブリかと思った」と言われた。

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さりはま書房徒然日誌2025年11月6日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月二十三日「私は映画だ」を読む

映画を観るのが大好きな丸山先生らしい文だなあと思う。

以下引用文。
映画を映画館で観るとき、まったく知らない者同士が並ぶ不思議さ、束の間の連帯感で結ばれる不思議さが書かれている。

でもネットで映画を観るようになって、こういう連帯感も失われつつある、と寂しくなる。

そんなかれらは
   それなりに私にのめりこみながら
      各人に互いの存在を意識し合っており、
         思わず苦笑が一致した際には
         ほとんど絆に近いものすら錯覚し、

そして
   ある種の連帯感すら抱くのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』244ページ)
    

以下引用文。

映画を観た後、現実へと戻されていくつまらない感じが思い出されてくる。

三本目をまだ観ていない者はトイレへ寄り
   全作品を観終えた者はそそくさと出て
      虚構ではない
         面白くもなんともない現実の奥へと
            あっさりと呑みこまれてしまう。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』245ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年11月5日(水)

花布(はなぎれ)編みにトライ

11月3日、中板橋の手製本工房まるみず組で「花布編み」のテクニカルレッスンが開催された。

飛び抜けて不器用かつ呑み込みの悪い私には、難易度が高いのは目に見えている……。

どうしようかと思案。参加の形は工房での直接参加、リモートでの参加、後日動画を見ながらの参加が選択できる。

色々迷いつつ、工房で参加する形にした。工房での参加でもテキストのプリントはあるし、動画も配信してくれる。

花布は、本文と背の間にのっているもの。
今では本文と背の境目隠しとして、飾り的なものである。作り方も紐に製本クロスをまいたものが多い。

でも今回学んだのは、ヨーロッパの伝統的な工芸製本パッセカルトンで使われる花布スタイル。
花布を編みながら、本文に縫い付けていくもの。
その中でも一番簡単な編み方で、パッセだけでなく、普通の上製本でも使うことが出来る編み方だそう。

まず並んでいる絹糸全色と色鉛筆(40色以上あったのでは?)から楽しく選択。
テキストの絵に色鉛筆で塗りこみイメージしやすくする。

でも絹糸もだんだん色の種類が少なくなってきているとのこと。寂しい話である。

市販の糸綴じの手帳の表紙を剥がして本文だけにする。

軸となる丸い革紐に絹糸を二色で、先生の解説を聞きながら編み込みスタート。
最初は出来ていた……

だんだん軸紐が勝手に動くし、糸はスムーズに寄ってくれないしモタモタ。

先生が心配して声をかけてくださる。
オンライン参加者もいて大変なのに申し訳ない。
先生がもう一度やり直して下さる。しかも見やすいように特大ライト付き拡大鏡で拡大してくださる作業手順を側で見る。
「わかった」と思って席に戻る2歩の間に、また分からなくなっている……。


他の参加者は花布を天地両方縫い付けて見返し、表紙貼りまできているのに、私の手元には正体不明のものとなってしまった花布が。

そんな私を怒ることなく、先生は私の失敗作をほどいて(ほどくのも大変なのに)もう一度優しく説明してくださる。

私の失敗をほどいて、先生が途中からやり直してくださって片方だけ完成。(↓)
端の方にまだ私の名残りのボコボコがあるけど……

先生が親切にも早速動画を送って下さるとのことなので、残りは家で動画とプリントを見ながらゆっくりやることにして、工房から帰る。

でも家でトライするも、糸がうまく動いてくれないし、謎の動きをしてしまい、ほどいてはやり直し。
絹糸って丈夫だ……と思ったけど、流石にプッチンと切れた。
近くのユザワヤで絹糸を購入(私は裁縫をしないので、絹糸が家になかった)。

すったもんだの挙句、ようやくシマシマらしき物がうっすら見える花布が完成?(↓)

でもシマシマは歪だし、なんか下の部分が先生みたいにシマシマになっていない。

もう一度ほどいてやり直そう。

こうして編んだ花布は綺麗な飾りになるだけでなく、本文に縫いつけるから本が頑丈になる気がする。

最初から動画を見て家でやれば……と思われるかもしれない。
でも工房に行くと、先生の知識や教えはもちろん、色んな形で本に関わっている方の本のお話を伺うことも出来る。

例えば……
パッセに使おうと思っている丸山健二全集9巻『月に泣く』をレッスンのついでに持参、糸かがりか先生に確認してもらう。
無事、糸かがりだった!


糸かがりのように見えて、そうでないアジロ綴じの本がとても多い。
この全集も一巻の1が糸かがり、その後アジロ綴じが続いて、9巻だけまた糸かがりになっている。
倒産して今はない版元だが、思い入れの深い一冊だったのかもしれない。

糸かがりにすれば製本代金はすごく跳ね上がる……と先生から伺い、版元の思いと苦しさを想像する。

全集9巻の本をご覧になって、先生が「すごく素敵な装丁ですね」と言ってくださる。

同じレッスンを受けていた書籍デザイナーの方も手にとって装丁に感心してくださる。
そして奥付きをご覧になって、「とても有名な装丁家」と教えてくださる。

さらにこの表紙の装丁に使われている紙はNTラシャ。

色味が多く、百色以上あるので全百巻を予定していた全集それぞれに色の異なるNTラシャを使う予定だったのでは……
NTラシャだとすっとした印象になるから使ったのでは……
と教えてくださる。


そして刊行時「高い」との声が聞こえた全集の価格も、「この値段では採算ギリギリ、ギリギリにするにも厳しい値段だったのでは」とも教えて頂いた。
すごく苦しかったのだな……と今はなき版元の苦労と思いを知る。

本に関わる様々な方からお話を伺って、視野を広げていくことが出来るのは工房参加ならでは……の楽しさだと思う。

なので不器用をかえりみず工房の講座には参加するつもり。
ものすごく器用な人が多いまるみず組で、モタモタと謎の動きをしつつも学んでいこう。


パッセカルトンは「月に泣く」を同時に三冊手がけるつもりだけど。
有名な装丁家さんが手がけた素敵な装丁の本だ。私の手で劣化させてしまわないように……

そのためにもパッセでは避けて通れない花布編み、せっせと練習しよう。

それにしても百色の全集……見てみたかったな。(↓全集刊行本の写真、パンフより)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月31日(金)

和紙のお話を聞きに名古屋へ

昨日30日、名古屋にある紙専門店「紙の温度」さん企画のトークを聴きに名古屋へ。

紙の温度技術顧問の宍倉佐敏氏による「和紙に使われた植物繊維」という話だ。

宍倉氏は製紙会社の研究所でレザックやタントという銘柄の紙を開発されたそう。
私はレザックを見返しに使うことが多いため、その紹介に勝手に親しみを感じる。

植物の産地に出かけ採取、みずから紙にしてきた宍倉氏の話を聞くうちに、紙が何とも身近に感じられてきた。

そんな宍倉氏の話から幾つか印象に残った話を以下に。

◆◆紙の起こりは女たちの洗濯(みたいな作業)から◆◆

起源は古代の中国。
絹糸を繭から取るとき繊維屑が出る。
女たちはこの繊維屑を水中で叩きほぐして再利用した。
そのとき籠に残る繊維屑が薄い層になって、乾燥すると繊維の膜になった。
これが「紙」の始まりだそう。
(洗濯機の糸屑フィルターに繊維が集まるのと似ているそう)

紙の起源が女たちの、手仕事から……とは知らなかったし、なんだか嬉しい。

◆◆紙に使われる植物は身近なところに◆◆

紙の材料について、古代に使われていた植物から説明して頂く。
まずは苧麻(ちょま)から。


そんな植物なんて知らない……と思ったが、宍倉氏はにこやかに「駅から紙の温度に来る途中の道のあちこちで苧麻を見ました」


日本に紙が伝わった頃の材料、苧麻が道端でよく目にするものだとは……意外である。


この苧麻で作られた紙は、光明皇后の「五月一日経」とか百万塔陀羅の料紙に見られるそう。

◆◆古代の人はなんだか風流◆◆

古代の紙の材料は苧麻、楮、カジノキ、ヒメコウゾ。

なかでもカジノキは葉が大きく柔毛があるため、毛筆で文字が書け、七夕の短冊にも使われていた、とのこと。


現代のワードで印刷する文字よりも、風情があったのだなあと思う。

◆◆奈良・平安の支配層の写経事業に紙が使われる◆◆

聖徳太子、聖武天皇、光明皇后は写経を奨励して、人心の統一をはかり、平和を願った。

楮が供給できないとき、補助材料として紐や縄に使っていたマユミ、雁皮(ガンピ)、オニシバリが使われた。

支配層の事業が紙の開発、普及につながった時代と知る。比べると現代は……

◆◆時代によって「よい紙」も変わる◆◆

奈良や平安時代、皇室や貴族に紙が使われていた頃、よい紙とは白くて、厚いものとされていた。

でも鎌倉、室町と武士の時代になると、白くなくてもいい、厚くなくてもいい、小さくてもよい、文字が書けて安価であれば良いと紙の概念は大きく変化。

柿色や薄茶色になって色白美人にはならない三椏(ミツマタ)もこの頃から使われるようになる。

この頃に中国から竹の紙も入ってくる。

江戸時代、高価に販売できるため各藩は和紙の製造に励み、経験の乏しい農民に製造を押し付ける。結果、紙質が低下する。

◆◆現代、和紙の材料は世界中から◆◆

外国産の材料で出来た紙を和紙と呼んでいいのか……という話は、別のところで聞いたことがある。

だが栽培できないため生産量が減っている雁皮はフィリピン雁皮のサラゴンが代用されるように、またネパールのロクタも代用されているとのこと。

三椏、オニシバリもネパールのロクタが代わりになるものとして注目されているとのこと。

仕方ないのだろうが、和紙の材料まで外国頼みになっているかと思うと何とも心細い気がする。

(宍倉佐敏氏の著書『和紙の歴史 製法と原材料の変遷』を参考にして書きました。
 和紙の歴史について、とても詳しく、丁寧に、わかりやすく書かれた良書です。おすすめです)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月29日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月十六日「私は憂いだ」を読む

世一の姉とハワイへ新婚旅行に出かけたストーヴ作りの男。
帰ってきてから胸のうちに広がる憂い。

そんな憂いが語るハワイの様子は新しい切り口で語られながら、やはりハワイが見えてくるところが面白い。

気が付かないだけで、私も同じような疎ましさを感じていたのかもしれない。

成り金の集まりにすぎぬ
   見せかけの経済大国からどっと押し寄せる観光客の重さで
      今にも沈んでしまいそうな火山島は
         ただ暑くて
            ひたすら落ち着きがなく、
               金銭を挟んでの関係があからさま過ぎて
                  帰る間際まで馴染めなかった。

夜になっても放熱を止めぬ海の色は
   うたかた湖の青ではなく
      オオルリの青でもなく、


( 丸山健二『千日の瑠璃 終結7』215ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月27日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月十一日「私は農薬だ」を読む

刑務所から出所した後、錦鯉を育てて静かに暮らす世一の伯父。

リゾート開発のための立ち退き交渉にも応じないで、静かに暮らそうとする。

だが相手は極道者たちを使って、錦鯉の池に農薬を放り込む。

たちまち死んでゆく錦鯉。

世一の伯父は背後に蠢く輩を察して、怒りにかられる。

以下引用文。その心情の変化が色に託され、見えない感情が見えてくる気がしてくる。

すると
   彼の胸に
      川面を埋めて流れる紅葉やら
         陣頭に立って殴り込みを掛けてきた相手を
            一刀のもとに斬って捨てた
               若き日の重大な過ちやらがいっぺんに甦り、

無色へと戻りつつあった心が
   みるみる朱に染まり、


かつてきっぱりと否定した
   殺られたら殺り返すという
      単純明快な力学が頭をもたげた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』197ページ)




(逆風と戦う笹のつもりが、逆風にみんなで回れ右しているような笹になってしまった。でも絵は風の優しさ、厳しさを表現しようとする、のが面白い)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月25日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月九日「私は泣き寝入りだ」を読む

土蔵に無断で暮らしていた若者。

ある日、突然、土蔵が取り壊されてしまい、若者は慌てて逃げ出し、別荘地を突っ切り、うたかた湖に飛び込む。

丸山作品で無人のボートは幾度も出てくるように思う。
大町にはありがちな風景なのかもしれない。
だが丸山作品では、田舎のありふれた風景が別の色合いを帯びてくるように思える。

この場合も若者を救ってくれながら、この世のしがらみがない存在として不思議なイメージを喚起する。

そして
   おのれが泳ぎ疲れるのを待ち
      湖底へ沈んで行く運命を待ち、


ところが
   期待した事態は訪れず、

ほどなくして
   彼の手は無人のままさまようボートに触れ、


それに這い上がった彼は
   おのれの荒い息遣いや
      土蔵が抹殺されてゆく轟音や
         片丘から届くオオルリの声に聴き入った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』189ページ)


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さりはま書房徒然日誌2025年10月24日(金)

手製本応用講座「やむなしに逆目を本にする場合」

昨日は中板橋の手製本工房まるみず組へ。「やむなしに逆目を本にする場合」の課題に取り組む。

去年一年間使用したテキストクリアファイル二冊分を冊子印刷形式でコピー、A5サイズに縮小。
そして手製本にしたら、こんなに小さく、薄くなった!
でも老眼でも字はしっかり読める。
手製本とはすごいもの。

手製本を習い始めたとき、まず最初に紙の目の大切さを教わった。
手製本を作るときもY目の紙を使用してきた。

でもコピー用紙はT目。
T目の本文、Y目の見返しと表紙……だと、やはり色々工夫しても見返しの次のページのノド部分に皺が出来ていた。
でも本文は教えて頂いた工夫のおかげで綺麗。


美しい本を作るためには、紙の目を揃えることが大事……とあらためて知る。

応用講座に進んでも、ボール紙を切り出す時の計算式を間違えたり、栞紐が寸足らずだったり、相変わらずそそっかしい一日だった、反省。

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さりはま書房徒然日誌2025年10月22日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月七日「私は幻聴だ」を読む

職にありついても、頑なに一汁一菜の生活を送る修行僧。

そんな彼に襲いかかる幻聴の書き方が、いかにも幻聴らしいなあと思いつつ読む。

ここで出てくる世一にも、不思議な妖精めいた存在感がある。

少しく冷静になって考えてみれば
   この世が地獄そのものであることくらい簡単に察しがつくだろうにと
      そう言ってやった。

しかし
   実際に言ったのは
      この私ではなく、

私が言おうとする前に
   私ではない誰かに先を越されてしまい、

とはいうものの
   彼の周辺には
      つむじのない頭に青い帽子を載せた少年が
         なんとも危なっかしい足取りで
            行ったり来たりしているばかりだった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』180ページ)

このあと、響いてきたのは女の声で、しかも真逆の内容だった……という結末が、なんとも幻聴らしい雰囲気を出している。

(もみじを描いた。だが葉脈を描こうとしたら滲むし、陰影がうまく出ない。赤ちゃんの葉っぱのようなモミジの筈が、ヤツデみたいにドサッとした葉になってしまった。)

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さりはま書房徒然日誌2025年10月21日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月六日「私は墓石だ」を読む

散文とは人間の思いがけない面、理性では説明できない面を抉るものかもしれない……

「私は墓石だ」の箇所を読み、そんなことを思った。

「生前は身持ちが悪かったという しかし 見掛けは咲き分けのアサガオのように楚々とした風情」の女の墓に、亭主がやってくる。

静かに野の花を手向けるところまでは、普通である。

だが……

死んだ女の亭主は
   おもむろに紙袋からひと抱えもあるスイカを取り出し、

それを頭上に高々と差し上げるや
   力いっぱいに私に叩きつけ、

「てめえの好きだったスイカだ!
    好きなだけ食らえ!」と
       そう怒鳴った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』175ページ)

あっけにとられるが、以下の文に亭主の死んだ女への想いが色々想像されてくる。

ついで男は
   口元にすこぶる残忍な笑みを浮かべ
      ほどなく忍び笑いを始め
         やがて高笑いに移行し、

乾ききった笑声は
   墓地全体に空しく響き、
      灰塵に帰した死者の影に撥ね返って
         むしろ嗚咽の声に変わった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』176ページ)

(桔梗のつもり)

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