さりはま書房徒然日誌2025年7月2日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6」より「私は労働だ」を読む

まほろ町の人々の「霊肉をせっせと蝕む」労働が語る。

以下引用文。労働の本質というものを、漢字混じりの固い文でビシッと言い当てている気がする。

阻害者であり
   暴圧者であり
      独裁者でもある私は
         単調と退屈を武器にしてかれらを日々責め立て、


勤惰いかんによって彼らを類別し
   のみならず
      この世における待遇まで決め、

僅かなことを聞き咎め
   のべつ苦言を呈し
      着意すべき点を徹底的に叩きこむ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』310ページ)

以下引用文に労働に翻弄される自分達の姿を見る思いがする。

それでいながらかれらは
   私を拒否せず
      しばしば私に泣きつき
         私のために陰湿な謀を巡らせるようになり
            多忙に取り紛れて生の本質を完全に見失い、

あげくに
   私なしでは生きる意味も甲斐もなく
      ために一日たりとも生きていられないと
         本気で思いこむ始末だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』311ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年7月1日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月二十四日「私は下界だ」を読む

不自由な世一と全盲の少女が散策するうちに、生まれて初めての郷里の外に踏み出す。その下界が語る

二人の感動を伝えるのに、二人の視点ではなく、感動を向けられている下界の視点で書く……という発想が斬新。
下界の高鳴りを読んでいると、幼い二人の感動がひしひしと伝わってくる。

漢字ではなない「ふたり」という平仮名に仲良く歩く姿が感じられる。
「私のなかの空気」という「なか」も、やはり平仮名ゆえ風が感じられるようで心地よい。


「私ごとき取り柄のない者」「今の今まで 一度も」という大袈裟な言い方が、下界というあり得ない存在をはっきり見せてくれる気がする。

峠を越えたふたりは
   確かにまほろ町の外へ十数歩ばかり出て
      間違いなく私のなかの空気を呼吸しており、

高鳴る心を抑えなければならないのは
   むしろ私のほうで、

なぜとなれば
   私ごとき取り柄のない者が
      そこまで人を感激させたことなど
         今の今まで 一度もなかったからだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より283ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年6月29日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月二十三日「私は海だ」を読む

優しさのあるボート屋のおやじ。その波瀾万丈な生涯を簡潔に、読み手に想像させるような文。
無理がたたって妻をなくしてから、どんな思いでこの男はうたかた湖を眺めてきたのだろうか……と色々思う。

覇権を握るための
   ただそれだけのための
      爛れた戦争が
         案の定
            この上なく無様な終局を迎え、

時代がさらに険悪な様相を呈してくると
   両人は流れる暮らしを始め、

流れ流れたあげくに
   まほろ町へと漂着し、

ともあれ
   湖畔に掘立小屋を建てて住み着いたのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』279頁) 

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さりはま書房徒然日誌2025年6月28日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月二十一日「私は頬杖だ」を読む

以前オンラインサロンか講演会のとき、どうやって語彙を豊かにされたのか質問を受けた丸山先生は「哲学書、法律書、物理学の本。そういうものを読んで増やした」と答えていらしたように思う。
そういう分野の本から語彙を増やせるのだろうかと驚いた記憶がある

だが、そうした語彙で文にしていくと、丸山先生の世界になるのかもしれない……
まほろ町の商人宿に泊まる男の頬杖が語る以下の文にそんなことを思った。


「成人男子の平均を五グラムほど上回る重さの顎」という何だか科学書の文のような一文が、その男の風貌や来し方を物語る面白さがある気がする。

成人男子の平均を五グラムほど上回る重さの顎を支える私は
   併せて
      一次逃れの姑息な術策のみで世間の荒波をくぐり抜けてきた
         恐ろしく長い歳月をも支えていても、

資金調達に馳せ回り
   即座の機転に頼って土地を買い漁り
      三日後にはもう売り飛ばすというやくざな日々は
         今や彼を支える力になり得ていない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』270ページ)



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さりはま書房徒然日誌2025年6月28日(土)

中原中也「北の海」

福島泰樹先生の中原中也講座へ。そこで読んだ中原中也の詩の一つ「北の海」を以下に。

北の海

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるとも知れない呪。


海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

講義によれば、この頃の中也はシェークスピアを読んでいて、人魚は「夏の夜の夢」にでてくる人魚から連想したのでは……とのこと。

ランボーの「海」の影響も感じられ、中也の自分を育てあげてくれた詩人への想いから生まれた詩とも言われていた。

漢字と平仮名の使い方がうまく、「歯をむいて」の「むいて」も漢字にすると強くなり過ぎてしまう。「いつはてるとも」の平仮名も……。

そんなふうに歌人の視点で説明されて、中也の詩に惹きつけられる理由が少し分かった気がする。

中也がそれまで大切に抱えて生きてきたものを言葉に紡いだ詩だから、思わず呟きたくなるものがあるのだろうか?

ただ最近、教科書に中原中也の詩があまり掲載されていないせいだろうか?若い方々の多くは、中原中也を知らない気がする。
そんな若者に「汚れちまつた悲しみに……」を教えると、困ったような顔をして「こういう言葉にどう反応すればいいのか分からない」と言う。
国が実用的な国語育成を目指してきた結果なのかもしれない。
中也の詩を呟く楽しさが分からない若者を大勢育ててしまった……ことに、前の世代に生きている者として心に罪悪感を感じないではいられない。


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さりはま書房徒然日誌2025年6月26日(木)

製本基礎講座32回「改装本 丸背1 データつけ・修理解体」

中板橋の手製本工房まるみず組の製本基礎講座32回。
これから「星の王子さま」を丸背の改装本に、丸背用スリップケースも作って、十二回かけて仕上げてゆく。
今日はそのためのデータの取り方、解体方法を教わる。

使用するのは岩波書店から刊行されている「星の王子さま」。

学生時代、フランス語の時間に「星の王子さま」を翻訳したりしたなあと懐かしく思い出しながら、本のサイズやページ数などデータを記入。

まずは見返し、「ごめんなさい」と詫びつつ本文を表紙から引き離す。だが、なかなか手強い。
先生が「製本はこの前見学に行った牧製本印刷」と奥付を示して教えてくださる。さすが広辞苑や六法全書の製本をされている会社の製本だけあって、簡単に解体できない。

↓奥付に製本会社の名前がない本が大半だが、この本はちゃんと「牧製本印刷」とある!

苦闘しつつ表紙を本文から引き離す。さらに表紙裏に貼ってあるボール紙を引き離して、表紙をただの紙の状態にしてから水で濡らして和紙を糊で貼り付けて裏打ち。↓

この表紙は改装本に大切に綴じ込む。

次に折丁をバラしていく。
牧製本印刷のすごい勢いで動いていた糸かがり機械を思い出しながら、それぞれの折丁の真ん中を開けて、かがってある糸をスパチュラで摘んでハサミでパチンと切る。それから、折丁を引き離す。


でも力が変なふうに入って少し「ビリビリ」と破れてしまう。とりあえず作業を続ける。
通りがかった先生は「ビリビリ」の部分に気がついて、微笑んで「糊でなんとかなるから」と慰めてくださる。


完成見本↓。表紙はマーブリングペーパーと皮。私の本もこんな風になるのだろうか?



ビリビリ解体して思ったけれど、私が製本するとヤワになるところは、とりわけ頑丈に製本されている気がした。製本会社はさすが!と思う。

それにしても丸背の上製本なんて、出版社も「星の王子さま」にはコストをあまり惜しまず本を作っているのだなあ。
図書館や子供、大人と幅広く購入される本だし、作者の著作権が切れているから著者への印税支払いの心配も要らないせいだろうか?


手製本を学んでから、本を手に取ったとき、出版社がコストをかけている本、かなり抑えている本、それぞれの事情やら思いやらを考えるようになった。
今のご時世、ほとんどの本が後者であるが。

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さりはま書房徒然日誌2025年6月20日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月二十日「私は批判だ」を読む

「少年世一の 死よりも重く 宇宙よりも深い瞳のなかに まほろ町の比較的善良な人々がふと感じる 自己自身に対する批判」が語る。
世一が批判しているのでなく、澄んだ世一の目に映る己の姿に、思わず人々が自分に向ける様々な批判。

以下引用文。ただ少年世一だけは批判することもなく、すべてを受け入れている。そんな世一の生き方の軽やかさが感じられる。

そんななかにあって少年世一は
   すれ違う人々のすべてを光や風のごとく容認し
      生々流転の小さな渦を撒き散らしながら
         足に任せての徘徊を存分に満喫している。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』369ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年6月19日(木)

製本基礎講座35回「モザイク装飾 皮の装飾」

炎天下、中板橋の通りはいつもと比べたら人影まばらだ。熱風の海を泳ぐようにして手製本工房まるみず組へ。広い工房だけれど、ひんやりエアコンがよく効いていて有難い。

今日は「モザイク装飾 皮の装飾」だ。

次回以降12回かけて学ぶ丸背の改装本のとき、皮を表紙に使うから今日はその練習。

まるみず組の講座のよいところは、少しずつレベルアップさせた形で技術を学ばせてくれるところ。
手製本のように非日常的な作業は、反復がないと中々定着しない。(私の場合、反復してもすぐ忘れるけど)

あらためてカリキュラムを眺めると、丸背の改装本はスリップケースだけで三回もかかるらしい。丸背のスリップケース(函)は確かに難しそうだ。

まず大きなカゴにたっぷり入った皮から選ぶ。色も、感触も様々。↓

選んだ革たち。台紙のボール紙には先生が親切にも紙の目の方向が分かるように印をつけてくださる。↓

布をカッターで切ったあと、端の薄くしたいところを手術用メスで削ぎ落としてゆく。
メスの刃は個包装。メスの刃の付け方、外し方を先生が実践しながら説明してくださる。だが私はモタモタしてしまう。


メスの写真が一枚もないことに気がついた。「メス、怖い」という気持ちが走り、無意識に写真撮影を避けたのかもしれない。

端の厚みを削いで台紙に緑の皮を貼る。皮にもこんなパステルカラーがあるのかと選んだ。
下はメスで作業する時の台。↓

模様を薄い和紙になぞる。
そのあと皮にヘラで和紙の上からなぞって印をつける。
皮の表に印をつけるのに、裏に入れたり。なぞっているうちに和紙の繊維が縮んだのか、大きさが合わないパーツが発生したりして、やり直す。
皮を無駄にしてしまい反省。




各パーツの端をメスで薄く削ぎ取る。
先生が丁寧に説明して実践して下さる。スーと皮は表皮だけ残して、下の部分は切り落とされてゆく
でも私がやると……なぜか切れ味が悪い、動きがすごく悪い。
こんなメスで手術するなんて、外科医のドクターは凄い!
見かねて先生が削ぎ取る作業をかなりやって下さる。有難い。

ポンチで台紙に穴をあけ凹みを作り、穴用の皮にもポンチで穴を作る。
ポンチを拍子木で叩きすぎて台紙にすっぽり穴が空いたりもした、だが何とか誤魔化す。

先生のご指導のおかげで完成!

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さりはま書房徒然日誌2025年6月18日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月十七日「私は雑念だ」を読む

うたかた湖のボートに乗る若い修行僧の「雑念」が語る。
修行僧の耳に届く世一の口笛。「青々としたさえずり」という言葉に、山上湖の風景が浮かんでくる。
「あっちへ行け」という修行僧の言葉が、木魂となって帰ってくる様子を「僧侶自身の肩をぴしゃりと叩くことになる」とどこかユーモラスな文で終わりにしている結末も心に残る。

口笛による青々としたさえずりを送りこみながら
   さかんに私を嗾け、

   すると
      僧侶の苛立ちがとうとう限界に達して
         「あっちへ行け!」と怒鳴ってしまう。

その罵声は
   残念ながら相手の耳にはまったく届かず、

空しく周囲の山々に撥ね返ったあと
   最終的には
      僧侶自身の肩をぴしゃりと叩くことになる。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』257頁) 

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さりはま書房徒然日誌2025年6月18日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より四月十四日「私はヨットだ」を読む

山の湖うたかた湖を走るヨット。
以下引用文。ヨットについて語っているようで、所有者たちの人となりや生き方を連想させる文を重ねているので連想が広がっていく面白さがある気がした。

青と白の二色の帆に
   早春の充溢をいっぱいに孕ませた私は
      船体を優越の角度に傾けながら、

軽やかに過ぎるかもしれない
   世間を舐めきったとしか思えぬ快走を保っていた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』242ページ)

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