さりはま書房徒然日誌2025年5月4日(日)

近松門左衛門『冥途の飛脚』より「二十日余りに、四十両」は使いすぎではないだろうか?

大阪の新町遊郭から駆け落ちしていく忠兵衛、梅川。
世をしのぶ二十日間の逃避行の間に四十両を使い果たし、忠兵衛の故郷、新口村(現在の奈良市橿原)に向かう。

近松に限らず文楽にはお金の話題がしょっちゅう出てくる。
だが文楽を観ている時は、時代も違うことだしお金についてはほぼスルーして考えていない。


文字で読むと、金銭感覚が気になってくる。
一両は多分今の十万円くらい。400万円を二十日間の逃避行に使い果たしたことになる。いくらなんでも多すぎないだろうか?

借駕籠に日を送り、奈良の旅籠屋、三輪の茶屋、五日、三日、夜を明かし、二十日余りに四十両。使ひ果たして二分残る、かねも霞むや初瀬山

【現代語訳】
駕籠を借りあげて昼日中を送り、奈良の旅籠屋や三輪の茶屋で、五日、三日と夜を過ごし、二十日余りの間に四十両を使い果たし、残る金とては、わずかに二分。鐘の音がかすかに聞こえる初瀬山を遠くよそに眺めやりながら

四十両とした近松の心は?と考える。
元々がその金額だったのか?
それとも話を盛り上げようと多めに書いたのか?
あるいは四と死をかけたのか?
それにしても現代文学では、こんなに細かく金額を書かないのでは?なぜ書かなくなったのだろうか……と色々考える。

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さりはま書房徒然日誌2025年5月3日(土)

近松門左衛門『冥途の飛脚』より「比翼煙管」

本を読んで文字で追いかけると印象的なのに、劇場で観たときこんな言葉はあっただろうか……と思うものもある。

「比翼煙管」もその一つ。註によれば「雁首一つ吸口二つの煙管のこと。ここは一本の煙管を二人で代わる代わる吸う睦まじさを表現」とのこと。
この直前に「相合炬燵」【あいやいごたつ】という印象的なフレーズがあるので、そちらに意識が奪われているのだろうか。「比翼煙管」は記憶に残っていない。

「相合炬燵」も、「比翼煙管」も、どちらもなんとなく艶かしい言葉だ。

以下引用文は忠兵衛、梅川の二人が死を覚悟して遊郭を逃げる場面。

これぞ一蓮托生【いちれんたくしょう】と、慰めつ、また慰みに。比翼煙管【ひよくぎせる】の薄けぶり霧も絶え絶え晴れ渡り。むぎの葉生え【はばえ】に風荒れて

【現代語訳】
「この相合駕籠こそ一連托生」と、互いを慰めあい、またわが身野慰みにと比翼煙管で一服やると、その薄煙と共にやがて霧もきれぎれに晴れ渡り、麦の葉にも風が吹き荒れて

麦の葉が出てくるのは冬の頃と知る。「風荒れて」に、なんとも追い詰められた二人の心境が滲む気がする。
近松門左衛門はやたら難しい漢字を使っているのに、「むぎ」と平仮名にしたのには意図があるのだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2025年5月2日(金)

近松門左衛門『冥途の飛脚』より「地獄の上の一足飛び」

山小屋に来るとき、うっかりして『千日の瑠璃』を忘れ、近松門左衛門集1だけを持ってきていた。

なので日誌はお休みしようかと思ったけど、私の心に残る近松の一言を紹介してみることにした。

以下引用文。傾城の梅川を身請けするためにお金を使い込んでしまった忠兵衛。もうバレるのは時間の問題だから、一緒に高飛びしてくれと梅川に頼み込む。
「地獄の上の一足飛び」は「きわめて危険なことのたとえ」

地獄の上の一足【そく】飛び、飛んでたもやとばかりにてすがり。ついて泣きければ。

【現代語訳】「地獄の上を一足飛びに飛ぶつもりで、一緒に高飛びしてくれ」と言うばかりで、すがりついて泣くと

「地獄の上の一足飛び」という無謀さ。「飛んでたもや」という甘ったれ感。「すがり。ついて泣きければ」の情けなさ。
そんなこんなが混沌としたこの文。初めて「冥途の飛脚」を見た時、とても心にも耳にも残った。

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さりはま書房徒然日誌2025年5月1日

製本基礎講座 改装本 1/6回 データつけ&修理解体

中板橋の手製本工房まるみず組の製本基礎講座28回へ。
本日から六回にわたって改装本に取り組む。
まず一回目の今日はデータつけ&修理解体。

カバーや帯、表紙はまたあとで使うので大切に保管。
表紙素材、タイトル、見返しの色、出版社名、著者名、天地や左右の大きさをメモ。
本文と見返し部分に力を入れて解体。↓
解体した後、折丁についてもメモ。
この本はひと折16ページ。全部で七折。

さらに折丁ごとにバラしていく。折丁の真ん中を開けると綴じ糸が出現。この糸をスパチュラで持ち上げてカッターでプスっと切断。横からそっと引っ張ると折丁がパラパラ解ける。↓

バラバラになったら接着剤の残りを剥がしてお掃除。
下はお掃除前。端に接着剤が茶色く残っている。これをそっと引っ掻いて落とす。

下はお掃除後。カリカリ引っ掻いてだいぶ白くなった。
私のことなので少し千切れてしまったが、先生によれば大丈夫らしい。

折丁の背中がツルツルするまでお掃除したら、折丁の背中に短冊状に切った和紙を貼っていく。
ボール紙に貼った和紙を短冊状に切ってプチっとちぎって貼る。
ボール紙の部分までしか写真に撮ってなかった。優しく和紙にくるまれた折丁の山は撮り忘れた。

こうして修理解体できるのも、もとの本が糸綴じだから。今は接着剤だけの無線綴じがほとんどだと思う。それでも修理解体は出来るが、やり方が違うらしいし、余計な手間がかかるようだ。
世の中は便利になっているようで不便になっているのかもしれない。

この本にどんな表紙をつけようか、どんな函をつくろうか……楽しみである。

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さりはま書房徒然日誌2025年4月30日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月十七日「私はバリカンだ」を読む

バリカンで切られた髪を見つめる世一。
その想像力が動く有り様を描いた以下引用文。世一の純粋さ、無邪気さ、動作や目の動きまでが伝わってくる気がする文である。

そして世一は
   切られた髪をいちいち蹴りながら
      それがまだ生きているかどうかを確かめようとし、

あるいは
   毛髪が羽先に変わっていないかどうかを
      大真面目に調べる。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』131ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月28日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月十三日「私はニュートリノだ」を読む

「罪にまみれたこの惑星に降り注いでいた 謎多きニュートリノ」が語るという設定は、物理書を読んだりするのが好きな丸山先生らしい。

以下引用文。世一の体の中で動きを止めたニュートリノ。その場所とは、いったいどこなのだろう?精神なのだろうか?全てを語らず、こんな謎を残したままなのも楽しい。

その場所は
   脳でもなければ循環器でもなく
      筋肉でもなければ血管でもなく
         いかなる臓器も納められていない摩訶不思議な空間で、

物質以外の何かがいっぱいに満たされ
   有限でありながら無限でもあるという
      なんとも不可解な世界で、

ともあれ
   動けなくなった私は
      消滅の一途を辿るしかない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』

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さりはま書房徒然日誌2025年4月26日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月十二日「私は恍惚だ」を読む

まほろ町に駆け落ちしてきた二人は悪事に手を染め、大金を手に入れる。

以下引用文。
ただ実際に遊んで暮らせるようになった人の様子をそっと見ていると、やれることはやっても意外と退屈しきってしまい、何をすればいいのか時間を持て余しているように見える。


果たして「それこそが理想の人生」なのか「それこそが自由にほかならない」のか。当人達も「お金があるから不自由」を感じているようにも見える。

そんな立場は、経験したことがないからわからないが。

たった五回の上京で一年分の生活費を易々と稼ぎ出し
   ために
      ドイツ製のサイドカー付きオートバイまで購入し、

遊んで暮らせる身分になってみると
   それこそが理想の人生であったことに気づき
      それこそが自由に他ならないことを悟り、

それ以外の日々は
   人間らしい暮らしからあまりに掛け離れた
      絶対に戻りたくない
         生きるに値しないものと断定した。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』111ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月24日(木)

製本基礎コース 箱秩の応用 ふでばこをつくる 2/2回

中板橋野手製本工房まるみず組の製本基礎コース27回は、「箱秩の応用 ふでばこをつくる」。

↓ 前回はボール紙を切り出し、クロスに貼って、紐を作ったところでおしまい。

今日は内側に貼る和紙やクロスを切り出して貼り、側面も貼って形にしていった。
前回、プリントには先生がきちんと計算式を書いてくださっているのに、うっかりミスをしてしまい二ミリ小さくカットしているのに気がついて慌てる。
でも先生は「大丈夫」とフォローしてくださる。ありがたい。

↓おかげで何とか筆箱が完成!

これは9回、10回でつくった和綴本をしまう秩。側面がなくてぺったんこ。
今回は側面をつけて立体バージョンだ。
9回10回で和綴用に作った秩↓

まるみず組の講座の良いところは、忘れた頃に少し形を変えレベルアップして反復するところ。
前回やったことは忘れていたが、やっていくうちに何となく記憶が蘇ってくる。
手製本という非日常的なことを思い出すカリキュラムでありがたい。

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さりはま書房徒然日誌2025年4月22日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月八日「私は皮肉だ」を読む

破門された僧が、橋の下に住む物乞いの隣に小屋を建てる。そんな僧に向けて物乞いが放つ皮肉が語る。

以下引用文。「皮肉」という目には見えないものが形になって現れてくる不思議さ、滑稽さがある。皮肉を言われているばかりだと救いのない話も、こうした最後を持ってくることで軽やかになる気がする。

ところが
   いつしか私は物乞いを相手にしており
      当人もそれに気づいて私をあやまち川へ突き落とし、

冷た水に押し流されてゆく私に向かって
   世一が橋の上から手を振った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』97ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月20日

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月六日「私は折り紙だ」を読む

「盲目の少女の 常に人肌に触れたがる十本の指から次々に生み出される 神気あふれる」折り紙。

その形に作者が思い描く世界のどこか寂しく、どこか美しい世界が心に残る。

なんでも折り紙にしてしまう少女だが、世一に「少女そのものを折ってくれないか」と頼まれると、「自分を見たことがないから折れない」と言って帰ってしまう。
その言葉に少女の哀しみを思う。

残夜の霜に打たれて死んだ
   オールドローズの花を、

場末の映画館の前で
   気韻あふれる作品の古いポスターを
      しげしげと眺める寄る辺ない身の男を、

まほろ町を死地と定めて
   無念無想の境地に浸る
      細身の老人を
         忠実に折る。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』87ページ)

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