さりはま書房徒然日誌2025年4月19日

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より三月二日「私は骨格だ」を読む

「少年世一の 柔軟に過ぎる肉体と 捉えどころのない精神を 内側から ともあれ支えている いかにも危うい」骨格が語る。

以下引用文。そんな世一の骨格でも、世一を与一たらしめているのだなあと思う。
世一の体の動きをもたらしている骨格に、世一ならではの存在価値を見出している。そんな言葉に丸山先生らしい視点を感じる。

世一がどこの誰よりも
   ぎくしゃくした関係で成り立っている世間にしっくり馴染んでいるのは
      全部私のおかげというわけで


丸山健二『千日の瑠璃 終結6』71ページ)

世一ほどに
   現世と円転滑脱な接し方ができる人間がほかにいるというのか
      もしいたら
         ぜひ教えてもらいたい。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』73ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月18日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月二十八日「私は手袋だ」を読む

世一の姉が恋人の男のためにせっせと編む手袋が語る。
以下引用文。姉の一途な、と言うか恋に盲目状態の心が描かれているなあと思う。

一方、私が手製本とか物を作るのは自分のため。自分の時間を費やしてせっかくつくりあげた品、人にあげるなんてとんでもない!とケチな心が働いてしまう。
自分がそうなら、他の人も同じなのでは……と思う私には、この娘の一途さが「こんな境地もあるのか!」と新鮮であった。

編み手は私のなかへ自分の手を差し入れて
   大きさを確かめ、

その手でいきなり自分の顔を挟みつけ
   そうすることによって
      これから先のまばゆいばかりの数十年を
         ぎゅっと抱き締める。


丸山健二『千日の瑠璃 終結6』65ページ)

そんな私が
   大切に仕舞っておいた
      しゃれたデザインの紙袋にきちんと納められ
         誕生日の祝いの言葉が添えられたとき
            女としての嘉悦の涙がきらめいた。


丸山健二『千日の瑠璃 終結6』65ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月17日(木)

手製本基礎講座 ー箱秩 ふでばこをつくる 1 / 2回

中板橋の手製本工房まるみず組での手製本基礎講座。
以前作った秩の作り方の応用である。立体的な秩を作って筆箱にする……という全二回の一回目。
2ミリのボール紙からカッターで黙々と8ピース切り出す。結構時間のかかる作業である。
ノリボンドを塗って製本クロスにくるみ、箱につける紐をこしらえて今回はおしまい。

それでも15ミリのくるみ部分をとったつもりで、一箇所10ミリしかとっていなかった……というミスをする。先生は慌てるこことなく、優しく「大丈夫」。ああ、よかった。
(↓このクロスの下には、ボール紙が8ピース隠れている。)

↓工房にあった見本。上のクロスとボール紙を組み立てると、こうなる筈だが)

それにしても材料はボール紙と製本クロスなのに、箱にするととなんとも優しい存在になるのが不思議である。
なぜなのだろうか?
作るのにかかる時間、込められた思いが、箱以上の何かに変えてくれる気がしてならない。

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さりはま書房徒然日誌2025年4月16日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月二十七日「私は羨望だ」を読む

「娼婦を娼婦と承知しながら眺める女子高校生たちの熱い眼差し」に込められた「羨望」が語る。
以下引用文。「糖質と性的な夢に目がない」という女子高校生たちが娼婦に抱く羨望。
それでも世一と娼婦の立ち話をする場面では、羨望の念を抱く方にも、抱かれる側にもギトギトしたものがない。
青づくめの世一、シクラメンの赤、娼婦の白……という色に丸山先生が込めたメッセージとは?と考える。そのメッセージに意味があるからこそ、羨望が「淡雪のごとくかき消える」のも、「病児の救いがたい影」が残るのも、心に沁みる現実として刻まれるのではないだろうか。

彼の青がシクラメンの赤をぐっと引き立て
   そして彼女のイメージカラーとしての白をさらに映えさせ、

世一と立ち話を交わす彼女は
   この私を一段と輝かせ、

彼女が颯爽とした足取りで立ち去るや
   私は淡雪のごとくかき消えて
      その後には
         病児の救いがたい影のみが残される。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』

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さりはま書房徒然日誌2025年4月15日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月二十日「私は浮き世だ』を読む

善人の見本みたいな男と「誰の手にも負えない 厄介な浮き世」との対話。
以下引用文。善人をせせら笑う浮き世のこんな声が、実際、丸山先生の耳には聞こえ、大町にこもって作品を書く原動力になっているのではないだろうか。
「逆らえるものなら逆らってみろ」という世間の声に呑み込まれまいとして生き用途する……その葛藤が、丸山先生に限らず、言葉をつかって表現しようとする者の原動力なのかもしれない

見るだけで虫唾が走る
   そんなタイプの彼に対して私は
      「ならばおれにとことん逆らってみたらどうだ
          逆らえるものなら逆らってみろ
             無理ならばおとなしく従うことだな」と言ってやる。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』33ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月10日(木)

製本基礎講座ー製本用のヘラを仕立てるー

板橋の手製本工房まるみず組の製本基礎講座。
全48回の講座も今回で25回め、今日から後半の講座がスタートした。
今回は道具づくり。製本をするときに溝をつけたり折れ目をつけるヘラを自分で2本仕立てた。

(↓ 最初はこんな感じ)


和裁用の牛骨ヘラをヤスリでひたすら擦って、形を整え、エッジをつける。

(↓ヤスリでひたすら擦る。粉がたくさん出る)


形が出来上がると、アルミホイルの舟に並べ、油絵用のアマニ油を注いで密封。24時間後に中性洗剤で洗い落とすそう。


牛骨に油が浸透して、ヘラが丈夫になるらしい。色も白から飴色っぽい色に変化する。
(↓右側がアマニ油に浸した後のもの)


先生が最後の仕上げをしてくださりながら、「肉も皮も骨も使わせてもらって、私たちはまさに命を頂いている」と言われた言葉が心に残る。
こうして命が宿っていた牛骨のヘラを使っての製本作りには、やはりネットや電書の世界にはない温もりがあるように思えてならない。

ちなみに豚の骨は柔らかいから駄目、鹿は大丈夫とのこと。角は外に出ている部分のせいか硬くて適しているとも……

象牙は今は輸入できず国内にあるものしか使えないが、一番丈夫らしい。そう言えば三味線の撥も象牙だ。使いすぎて撥としては役に立たないものを探してヘラに仕立てたい気がする。今度探してみよう。

道具も自分で仕立てる手製本の世界をとおして、言葉を、世界を眺めると、とても優しい気持ちになってきて、関わり方が変わってくる気がする。

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さりはま書房徒然日誌2025年4月9日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十九日「私は観察だ」を読む

丸山先生を思わせる「まほろ町をこの世の象徴と見なして 執拗に凝視しつづける」小説家。その男に対して、「世一が加える観察」が語る。

丸山先生は普段から人をそっと観察すると言われている。観察は作品を書くためかと思っていたが、「他者のなかにおのれを捜して 気休めにしているのでは」と言う気持ちがあるのかもしれない……と知る。

自分に失望したり絶望したりするとき、他人を眺め、やはりおのれと同じような自分に気がついて安堵するのだろうか?
「お前もか」と余計悲しくなってきてしまいそうな気がしないでもないが。

仕事でなければ好んでするものかと言い、

そこで私は
   本当にそれだけの理由で赤の他人のいっさいをつぶさに見たがるのかと
      そう迫り、

さらには

   もしかすると
      他者のなかにおのれを捜して
         気休めにしているのではないかと畳みこむ。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』29ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月5日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十八日「私はつららだ」を読む

普段つららを見かけることのない土地に住んでいる私にすれば、つららは冬の陽にキラキラ輝くもので清純なイメージがある。

だが雪国住まいの丸山先生にすれば、つららは何とも凶暴で、おそろしい存在のようだ。まず「危険千万な 恐怖のつららだ」と書き出して私のイメージを覆す。

管理人の下で働く男は
   鉤爪の付いた義手をぶんぶん振り回して
      私を次々に叩き落とし、

それが済むと今度は
   指の先まで血が通っている本物の手を使って
      私のかけらを拾い集める。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』22ページ)

この男は集めたつららのかけらを湯呑み茶碗に入れ、ウイスキーを注いで飲み干す。何とも荒々しいけれど、忘れられない場面である。
そして酔っ払うと「猫だけではなく 人間の体にも穴を穿つだけの威力を秘めた私」の下に「心臓を向けて 大の字に寝そべる」
そんな男につられて、思わず先をどんどん読んでしまう。


以下引用文。寝そべる男につららは思う。
厳しい自然を見つめながら暮らしている丸山先生だから浮かんでくる思いなのではないだろうか。

私のことをとことん甘く見ているか
   さもなければ
      態度とは裏腹で
         生者を辞めたがっているかの
            いずれかだろう。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』25ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月4日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十七日「私は立ち話だ」を読む

「海の魚を行商する働き者の娘と これまた働き者の世一の母親」が雪の中でかわす「立ち話」が語る。
立ち話をする二人の姿も冷たい雪にまみれて真っ白。大町のどこかで見た風景なのだろうか、「商売道具の風呂敷」「干しカレイを納めた買い物」のリアルさが、続くふたりの切ない話をきりきり突きつける。
「この私までもが白く変わっていった」という立ち話の言葉どおりの、切ない二人である。

小止みなく降りしきる雪は
   ふたりの全身はおろか
      前途までをも白一色に塗り潰し、

娘が手にしている商売道具の風呂敷も白く
   世一の母が干しカレイを納めた買い物袋も白く、
      やがて
         この私までもが白く変わっていった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』18ページ)

切ない事情を打ち明ける二人が嘘くさい存在にならないのは、以下に続く文のせいだろうか。人間とは切なくも、したたかな存在なのだと思う。

世一の母などは
   丘がまるごと売れて入ってくる
      相応の大金の件にはいっさい触れず、

娘は娘で
   狂人扱いするしかない母親が
      もうじき病死を迎えることを
         けっして語らない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』21ページ)


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さりはま書房徒然日誌2025年4月3日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十六日「私は雪だるまだ」を読む

丸山先生が大町の街角で見かけた雪だるまなのだろうか。
その姿に色々思いを寄せ、さらに『千日の瑠璃』の中でも一番弱く、同時に一番強い世一と盲目の少女の二人の思いを重ねている。
子供が戯れにこしらえただろう雪だるま。どこにでもあるその姿から、人の生の切なさ、美しさを読み取って、こんなふうに語ることができるのだなあと、短いけれど濃い文に触れたように思いつつ読む。

黒っぽい枝で作られた表情は

本当のところは自分でもよくわからないのだが
   その日その日の生活に追われている者が
      天を仰いで長嘆しているように見え、

臨月を迎えた女がまんじりともしないで
   不安の一夜を明かそうとしているようにも
      見えているのかもしれない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』14ページ)

葉の付いた松の枝を私の胴体の左右に突き刺し
   それを腕と見なし、

いっぱいに開かれた両腕はさしずめ
   意に適わぬことが多過ぎて
      ただもう懊悩の日々を送るしかなく
         他者を顧みる余裕もない
            心の貧しい人々を
               そっと抱き締めるためだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』15ページ)

しまいには私にひしと抱きついた少女は
   そうやって愛唱歌を低唱し、

やがて
   感極まって泣き出し、

すると
   笑う少年の目にも
      うっすら涙が浮かんできている。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』17ページ)

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