さりはま書房徒然日誌2025年4月10日(木)

製本基礎講座ー製本用のヘラを仕立てるー

板橋の手製本工房まるみず組の製本基礎講座。
全48回の講座も今回で25回め、今日から後半の講座がスタートした。
今回は道具づくり。製本をするときに溝をつけたり折れ目をつけるヘラを自分で2本仕立てた。

(↓ 最初はこんな感じ)


和裁用の牛骨ヘラをヤスリでひたすら擦って、形を整え、エッジをつける。

(↓ヤスリでひたすら擦る。粉がたくさん出る)


形が出来上がると、アルミホイルの舟に並べ、油絵用のアマニ油を注いで密封。24時間後に中性洗剤で洗い落とすそう。


牛骨に油が浸透して、ヘラが丈夫になるらしい。色も白から飴色っぽい色に変化する。
(↓右側がアマニ油に浸した後のもの)


先生が最後の仕上げをしてくださりながら、「肉も皮も骨も使わせてもらって、私たちはまさに命を頂いている」と言われた言葉が心に残る。
こうして命が宿っていた牛骨のヘラを使っての製本作りには、やはりネットや電書の世界にはない温もりがあるように思えてならない。

ちなみに豚の骨は柔らかいから駄目、鹿は大丈夫とのこと。角は外に出ている部分のせいか硬くて適しているとも……

象牙は今は輸入できず国内にあるものしか使えないが、一番丈夫らしい。そう言えば三味線の撥も象牙だ。使いすぎて撥としては役に立たないものを探してヘラに仕立てたい気がする。今度探してみよう。

道具も自分で仕立てる手製本の世界をとおして、言葉を、世界を眺めると、とても優しい気持ちになってきて、関わり方が変わってくる気がする。

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さりはま書房徒然日誌2025年4月9日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十九日「私は観察だ」を読む

丸山先生を思わせる「まほろ町をこの世の象徴と見なして 執拗に凝視しつづける」小説家。その男に対して、「世一が加える観察」が語る。

丸山先生は普段から人をそっと観察すると言われている。観察は作品を書くためかと思っていたが、「他者のなかにおのれを捜して 気休めにしているのでは」と言う気持ちがあるのかもしれない……と知る。

自分に失望したり絶望したりするとき、他人を眺め、やはりおのれと同じような自分に気がついて安堵するのだろうか?
「お前もか」と余計悲しくなってきてしまいそうな気がしないでもないが。

仕事でなければ好んでするものかと言い、

そこで私は
   本当にそれだけの理由で赤の他人のいっさいをつぶさに見たがるのかと
      そう迫り、

さらには

   もしかすると
      他者のなかにおのれを捜して
         気休めにしているのではないかと畳みこむ。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』29ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月5日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十八日「私はつららだ」を読む

普段つららを見かけることのない土地に住んでいる私にすれば、つららは冬の陽にキラキラ輝くもので清純なイメージがある。

だが雪国住まいの丸山先生にすれば、つららは何とも凶暴で、おそろしい存在のようだ。まず「危険千万な 恐怖のつららだ」と書き出して私のイメージを覆す。

管理人の下で働く男は
   鉤爪の付いた義手をぶんぶん振り回して
      私を次々に叩き落とし、

それが済むと今度は
   指の先まで血が通っている本物の手を使って
      私のかけらを拾い集める。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』22ページ)

この男は集めたつららのかけらを湯呑み茶碗に入れ、ウイスキーを注いで飲み干す。何とも荒々しいけれど、忘れられない場面である。
そして酔っ払うと「猫だけではなく 人間の体にも穴を穿つだけの威力を秘めた私」の下に「心臓を向けて 大の字に寝そべる」
そんな男につられて、思わず先をどんどん読んでしまう。


以下引用文。寝そべる男につららは思う。
厳しい自然を見つめながら暮らしている丸山先生だから浮かんでくる思いなのではないだろうか。

私のことをとことん甘く見ているか
   さもなければ
      態度とは裏腹で
         生者を辞めたがっているかの
            いずれかだろう。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』25ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月4日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十七日「私は立ち話だ」を読む

「海の魚を行商する働き者の娘と これまた働き者の世一の母親」が雪の中でかわす「立ち話」が語る。
立ち話をする二人の姿も冷たい雪にまみれて真っ白。大町のどこかで見た風景なのだろうか、「商売道具の風呂敷」「干しカレイを納めた買い物」のリアルさが、続くふたりの切ない話をきりきり突きつける。
「この私までもが白く変わっていった」という立ち話の言葉どおりの、切ない二人である。

小止みなく降りしきる雪は
   ふたりの全身はおろか
      前途までをも白一色に塗り潰し、

娘が手にしている商売道具の風呂敷も白く
   世一の母が干しカレイを納めた買い物袋も白く、
      やがて
         この私までもが白く変わっていった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』18ページ)

切ない事情を打ち明ける二人が嘘くさい存在にならないのは、以下に続く文のせいだろうか。人間とは切なくも、したたかな存在なのだと思う。

世一の母などは
   丘がまるごと売れて入ってくる
      相応の大金の件にはいっさい触れず、

娘は娘で
   狂人扱いするしかない母親が
      もうじき病死を迎えることを
         けっして語らない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』21ページ)


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さりはま書房徒然日誌2025年4月3日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十六日「私は雪だるまだ」を読む

丸山先生が大町の街角で見かけた雪だるまなのだろうか。
その姿に色々思いを寄せ、さらに『千日の瑠璃』の中でも一番弱く、同時に一番強い世一と盲目の少女の二人の思いを重ねている。
子供が戯れにこしらえただろう雪だるま。どこにでもあるその姿から、人の生の切なさ、美しさを読み取って、こんなふうに語ることができるのだなあと、短いけれど濃い文に触れたように思いつつ読む。

黒っぽい枝で作られた表情は

本当のところは自分でもよくわからないのだが
   その日その日の生活に追われている者が
      天を仰いで長嘆しているように見え、

臨月を迎えた女がまんじりともしないで
   不安の一夜を明かそうとしているようにも
      見えているのかもしれない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』14ページ)

葉の付いた松の枝を私の胴体の左右に突き刺し
   それを腕と見なし、

いっぱいに開かれた両腕はさしずめ
   意に適わぬことが多過ぎて
      ただもう懊悩の日々を送るしかなく
         他者を顧みる余裕もない
            心の貧しい人々を
               そっと抱き締めるためだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』15ページ)

しまいには私にひしと抱きついた少女は
   そうやって愛唱歌を低唱し、

やがて
   感極まって泣き出し、

すると
   笑う少年の目にも
      うっすら涙が浮かんできている。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』17ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年4月1日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より二月十四日「私は民謡だ」を読む

老いた芸者が久しぶりに歌うまほろ町の民謡。もう半ば忘れてしまった歌詞を、自身の体験と混ぜながら歌う。

「娘は今」「彼女は今」で繰り返しながらの語りは、音楽のようでもあり、芸者の若い頃のようでもあり、あるいは民謡の中の娘のようでもあり……繰り返しが哀切を生んでいるように思った。

音楽が好きな丸山先生らしい書き方だと思う。どんな曲をイメージされて書いたのだろうか。

私の全体を構成する
   しとやかな挙措の麗しい娘と
      彼女が辿る数奇な運命を、

濃厚な闇や
   夜の向こうに横たわって滔々と流れるあやまち川へ
      そっと流した


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』7ページ)

そして娘は今
   山野に早春の気が漲る朝まだき
      静かに実家を離れ、

それから数年後に
   霊魂のみの里帰りを果たした。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』9ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年3月29日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より二月八日「私は日差しだ」を読む

体も、そして頭も衰弱している老女、老女が愛するサクラソウを暖める日差しが何とも優しく感じられる。
老女の老いとは対照的に、サクラソウの生命力の何と頼もしいことか。毎日、庭で植物と向かい合っている丸山先生ならではの見え方かもしれない。

すると彼女は
   もはや心火を燃やすことがない皺だらけの魂を
      安心して私に委ね、

鉢植えのサクラソウは
   私に向かって
      可憐にしてしぶとい命を
         精いっぱい伸ばしてきた。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』381ページ)

以下引用文。世一の足音も、老女の体の動きも、サクラソウの動きまで仲良く調和した有り様で心に浮かんできて、思わず幸せになる終わり方。

私とほぼ同格の価値を
   その病児にも認めている老女は
      近づいてくる独特の足音に惹かれて
         窓辺へぐっと身を乗り出し、

なんと
   サクラソウの花までがそれに倣った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』385ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年3月27日(木)

製本基礎講座「やわらかい表紙 フレンチリンク 花布をとじる」完成!

中板橋の手製本工房まるみず組の製本基礎講座へ。
三回にわたる「やわらかい表紙 フレンチリンク 花布をとじる」も、すべて終わって何とか完成。

この三回を思い出すと、まるみず組の良いところが詰まっているように思う。
GOOD POINTその1。大きな紙から、自分で紙の目や大きさを考えて切り出すところ。

そんなことを私なんかが出来たのも、まず講義の前の製本ドリルでその大きさに紙を切り出すための問題を計算する
先生に確認してもらい、切り方も教わったりで、不器用な私も無事に切り出せた。

GOOD POINTその2。今回、フレンチリンクという背中に模様ができる綴じ方をした。
まるみず組では、どんな本でも糸でかがって綴じてこそ手製本、という考えがあるのだと思う。

強力な接着剤が開発されている昨今、糸でかがることをしないで接着剤だけのところが大半だと思う。
でも、まるみず組では糸でかがってこそ手製本、なのだろう。そう言えば、まるみず組のシンボルマークも、糸で本をかがっている人だ。

裁縫が苦手な私は、糸でかがることにとても苦労する。
今回もよく見たら糸がゆわんとしている箇所もある。
それでも一針一針地道にかがっていくと、自然に本を、言葉を大切にしなくては……と書くことへの意識が変わってくる。だって切り出すのも、糸でかがるのもすごく大変なんだもの。

GOOD POINTその3

毎回、講義のときに、先生が作ってくれたその日の制作内容の手順プリントが渡される。このプリントがビックリするくらいとても丁寧で、イラストや図入りで書かれている。
やるそばからすぐに手順を忘れてしまう私も、このプリントさえあれば安心、一人でも何とか作れる気がしてくる。

↓花布を自分で作って、さらに刺繍糸で本に縫いつけた!
大きな紙からふんわり丸い本の完成!



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さりはま書房徒然日誌2025年3月26日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より二月五日「私は火影だ」を読む

新しい障子に映る火影、外は大粒の雪。
こんな美しい風景ももはや小説や映画の中だけであり、失われてしまっていることにハッとしながら読む。

張り替えて間もない障子に
   くっきりと映し出されて
      少年世一をさかんにいざなう
         盲目の少女の美しい火影だ。

無風状態のせいで真っすぐに落下する大粒の雪を浴びて立つ世一は
   もうかれこれ一時間近くも私に見とれ、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』370ページ)

最後、世一の口笛への少女と犬の小さな反応が、この雪の火影の静けさをさらに強く印象づける気がする。

そうは思ったものの
   彼女と犬の耳はしっかり反応している。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』373ページ)

静けさが恋しくなってくる文章である。でも、こんな静かなときも、場所も見つけがたいことに気がつき悲しくなる。

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さりはま書房徒然日誌2025年3月25日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より二月四日「私は象だ」を読む

まほろ町の動物園に運ばれてきた高齢の象。
以下引用文。象が見つめる雪のまほろ町は、ただの田舎町ではない。どこかで宇宙ともつながっている存在らしい。そんな象の気持ちに自然と一体化する。

そうしているうちに、象が観察しては語る人々の有り様も、受け入れる気持ちになってくる。
もし、これが人間の視点で語られたら、反発するかもかもしれない人物スケッチなのだが……。
こんなふうに雪に無心になる象の言葉だと、自然に受け入れてしまうではないか。

運動場に降り積もった雪の上に側臥した私は
   細い目をさらに細めて
      雪といっしょに天から舞い落ちてくる
         白色の無限や
            透明の永遠などを
               ぼんやりと眺め、

そうやって片田舎に身を置きながらも
   宇宙の中心で生きることの醍醐味を
      存分に満喫していた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』366ページ)

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