さりはま書房徒然日誌2025年8月7日(木)

製本基礎講座42回「改装本7/12回 革装・丸背 革の下ごしらえ」

中板橋の製本工房まるみず組の製本基礎講座へ。

まだボール紙状態の表紙。
今日はボール纸を表纸の大きさに切ってから、革の下ごしらえをしてボール纸に贴る。

革をカッターで切り出した後、メスを使って削いでいく。
プリントの説明によれば、メスは世界共通のホルダー、ブレードだそうだ。
怖い!指を切らないようにと祈る。


先生から「刺身のサクを切るような感じでメスを動かして」と具体的にアドバイスを頂く。
しかし、いつも刺身を切ってある状態で購入する不精者には、メスの動かし方のイメージが浮かばずモタモタする。


大理石?の台の上に革とメスを置いて、革をそいで厚みが出ないようにしてゆく。

先生の「革は細かな毛があるから、絨毯に塗り込むイメージでしっかり糊を塗って」の言葉に、あらためて命を頂いて本を作っているんだという気持ちになる。

植物や動物の命を頂いて、自分の言葉やスカスカでも頭の中身を本という形にするんだ……という考えは、電書やnoteでは湧いてこないだろう。

革を貼ると、だんだん本らしくなってきた気がする。
来週は真ん中のボール紙部分に、以前染めたマーブリングペーパーを貼る。楽しみ!


とにかく指を切らなくてよかった。

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さりはま書房徒然日誌2025年7月31日(木)

製本基礎コース41回 改装本 革装・丸背08回 表紙骨組

クータをつけたり、花布をつけたり……は大体角背と同じ。
花布部分との背中の段差を紙を当てて埋めるそうだ、丸背の場合。

本文、ボール紙を薄めのカード紙でくるみ、丸背のラウンドを作る。

色々はみ出していたりする度、先生が気がついて直して下さる。有り難い。

今日作業をしていたら、入り口から何やら人の声が。工房から姿は見えないが、声に聞き覚えがある。

ひょっとしてもしかしたら……と確かめに行ったら、そこには短歌講座の友の顔があった。
明日からのコンクール開催の場所を確認するため、炎天下はるばるまるみず組まで来てくださったとのこと。

偶然、そのとき私もいたのだ。
なんて有り難い。
こんな炎天下なのに。
手術されたばかりなのに。
有り難いやら、申し訳ないやら。
でも、まるみずの先生に頂いた案内葉書が、こうして人を呼ぶのだなあと不思議な感動。


それにしても手製本に関心を持つのは、なぜか短歌の方々が圧倒的に多い。
翻訳、小説書き、編集の人は大体「へえ、そんな世界があるんですか」で終わってしまうことが多い。

でも短歌や詩の人は「私も作ったことがある」「見てみたい」「やってみたい」と積極的な反応の方が多い。

短歌や詩の特性を感じる。

ちなみに私が手製本をはじめたのも、短歌の方から「まいたけ社」という名前で随分可愛い、工作品みたいな歌集を作っている方のことを教えてもらったのがきっかけだ。

短歌や詩と手製本は親和性があるのだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2025年7月30日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月十五日「私は穴だ」を読む

崩れかけた土蔵に住む若者が、突然床下に掘り始めた穴が語る。

土蔵の床下を掘るという何となく不気味な行為も、その穴が「魂ごとつるっと呑みこみ」とか語ると、どこか現実離れしてくる。

この後に若者が感じる安らぎも、納得させるものがある。

そして六日目のきょう
   堂々たる骨盤を具えた健康な娘の子宮と比べても
      まったく遜色がない私は
         若者を魂ごとつるっと呑みこみ、

疲れきった五体を委ねた彼は
   手で触られるほど濃厚な闇に包まれて安堵し、

そもそもの始まりから間違っていた歳月の一部始終を
   地味豊穣なる土に吸わせてしまった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』367ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年7月24日(木)

手製本基礎講座40回「改装本 革装・丸背 12/5回

中板橋の手製本工房まるみず組の手製本基礎講座40回。
今日は丸背の背中作り。

丸背をつくるため、まるみず組が特注されたトンカチが大活躍。トンカチの背のところがラウンド加工されていて、このラウンドが丸背を作ってくれるそうだ。

机の上で先生に教わったとおりに、トンカチで背をトントン叩く。

要らない紙を巻きつけウースをかけた状態で、机の上でトンカチで叩く。直線の背がだんだん丸くなってきた!

バッキングプレスに挟み、ボール紙の厚み分(耳と言うそう)を出す耳出しの作業へ。バッキングプレスに挟み、トンカチで叩く。
丸背になった、不思議!

最後、作業机に戻って本文の耳出した部分にボール紙をあて、トンカチのラウンド部分で叩く。

このトンカチはまるみず組が金物工場に特注した品物だそうだ。手製本をしていると、工場に特注した道具が結構あれこれ多いことに驚く。
本をつくるということが、そうした工場の技術に助けられ、また助けることになるのは素敵なことだと思う。

次に本文を支えていた麻糸の処理。

こんな感じになる。最初はカットしても長すぎたり、ほぐしが足りなかったり、糊で貼るところをノリボンドで貼っていたりで、先生に色々優しく注意される。

先生が麻糸をほぐすとタンポポの綿毛みたいになるけど、私がやるとワカメのようになってしまう。なぜ?
糸をほぐす……簡単そうで難しい。


最後に寒冷紗を貼って、今日の作業はおしまい。

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さりはま書房徒然日誌2025年7月21日(月)

コデックス装にトライ

中板橋の手製本工房まるみず組でコデックス装のテクニカルレッスンにトライしてきた。
コデックス装は、背表紙がなく背の糸かがりが見える装丁。

コデックス装の名前の由来は分からないそうだが、海外では作られてはいるが検索しても出てこないとのこと、おそらく日本のブックデザイナー祖父江さんが考案されたのでは……とのお話をまず聞く。

祖父江慎さんがデザインされたコデックス装の本。

分厚いため補強の寒冷紗を背に貼っているそう。そのため糸は見えない。もしかしたら糸部分で文字を書いているのでは……とのこと。

しかも、この本は本文の色が違う。つまり違う種類の紙を束ねてコデックス装にしているそう。
紙の種類が異なると、どう反応するか分からないため製本も難しくなるとのこと。
そのため、この装丁ができる会社はとても限られていて、板橋区内のある製本会社が手がけたとか。

奧付き。残念なことにその製本会社の名前は記されていない。製本会社の名前まで記してほしいな。

強度的に弱いところがある製本方法だそうだが、シンプルでおしゃれ。糸の色で遊べる。
紙も文庫本くらいの薄めの紙がよいらしい。
糸も太い糸だと浮いて壊れやすいので、細めの糸がいいとのこと。ダイソーのレースヤーン60とかも使えるらしい。

今回、16ページの折丁を八つ。つまり128ページある。このくらいあれば、結構色々作れる気がする。


四本の糸の両端に針をつけ、折丁を重ねてかがっていく。
みんな早い。かがるのも、切るのも早い。
私一人だけトロトロと遅れて作業する。でも先生は優しく教えてくださる。


折丁を切るとき、一折間違って袋側を切ってしまいバラバラになってしまった。呆然とする私に、先生はご自分の折丁を一山くださり、ご自分は新たに紙を取ってきて折って、ささっとカットされる。

↓糸がユワユワしているけどこのあと引き締めた。

黙々とかがる。写真を撮る余裕もなくかがる。最後、糊で背固めをする。乾くと糊の痕跡はなくなる。

↓出来上がり。糸がカタカタなところも不器用な私らしい。

見返し

見返しは色違いにしてみた。折丁、綺麗に切れていない……と今頃気がつく。

表紙のボール紙は、額装のオリオンのカラフルなマットボードを使用するのもお勧めだそうだ。

コデックス装、可愛いだけではなく、開くとフルフラットにパカっと開くのもステレスフリーでよいなあと思う。本を開いて書き写すときパカっと開かないから結構イライラすることが多い。

モタモタしたが無事に形になって、コデックス装の魅力も知った。先生に感謝。

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さりはま書房徒然日誌2025年7月19日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月十四日「私はヘルメットだ」を読む

「しばしば熊の仔に見間違われるむく犬が 安全のためという理由でかぶせられた 飼い主と揃いの 青いヘルメット」が語る。

多分、丸山先生が飼っていた黒のチャウチャウ犬がモデルなのだろう。もしかしたら青いヘルメットも本当にあったことなのかもしれない。

そんなユーモラスさがありながら、己を正しく認識することが幸せなのか……という鋭い問いかけが潜んでいる。

以下引用文。青いヘルメットを被せられた犬の思い込みのユーモラス。

ひとえに私のせいで
   自分が犬であるという自覚を忘れることができたのかもしれず、

さもなければ
   犬の立場を超越した
      もっと上等な
         別の生き物になれたとでも思いこんだのだろうか。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』363ページ)

以下引用文。むく犬の滑稽な思い込みの拠り所であるヘルメット。それを己が手にするペンに重ねる鋭い目。

むく犬の飼い主を長年包みこんでいる錯覚とまったく同じで、

彼が四半世紀ものあいだ握りつづけてきたペンは
   おのれがありふれた人間のひとりにすぎないことを忘れさせ、

あるいは
   ときとして人間以外の何かになり得たという幻覚に晒され


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』364ページ)

以下引用文。人間たる所以を思う。

むく犬が幸せなのは
   ひとえにそのことに気づいていないからで、

飼い主がしばしば悲劇的な影を落とすのは
   はっきりとそれに気づいているからで、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』364ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年7月18日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月十三日「私は砂漠だ」を読む

世一の部屋に貼られた観光ポスターの真ん中にある砂漠が語る。
限りある人間の視点で語れば、語ることも限られてくる。
でも、ここでは砂漠が語り手だもの、砂漠に丸山先生の価値観をかぶせることができるのだな、と思った。
人間がポスターを見て、「  」と思った、という文ではとてもこうは書けない。
ただ書き手の心に砂漠にも通じる思いがなければ、こうは書けないのだろう、とも思う。

そうかと思うと
   至る所に浄化作用と解毒作用が満ちあふれていることを教え、

この世が生きるに値するという確たる証拠を
   あり余るほど示してやり、

あらゆる生命が
   その誕生から寂滅に至るまで
      気高い意義を具えているいることを知らしめ、

抽象的自我の単なる影法師などではなく
   極めて明瞭な意味を有する存在だということを
      翻然と悟らせてやる。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』360ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年7月17日(木)

手製本基礎講座39回「改装本 丸背4/12回 かがり、背中処理」

中板橋の手製本工房まるみず組の手製本基礎講座第39回へ。
引き続き「星の王子さま」の改装本、丸背4/12回である。
今回はかがり、背中処理をやった。

手製本をやるまで裁縫、糸、針には無縁というか避けてきた不器用な私には、かがりの作業はハードルが高い。

でも先日、かがり台と一生付き合おうと決心。
まるみず組でかがり台の購入申し込みをしたから、使えるようにならなくては……。
ちなみに他のところで制作しているかがり台も比べてみたが、使いやすさ、重量では、まるみず組特注のかがり台の方が使いやすそうに思えた。
他のところで扱っているかがり台は私には重く、持ち上げたらギックリ腰になりそう。

かがり台を使っての作業はこれで三回目。
反復して学習できるのがまるみず組の良いところ。
それにしてもいい加減マスターしてもよさそうだが、それでもモタモタする。

まずセッティングからモタモタ。
かがり台の麻紐の輪っかに麻糸を結んでいく。それだけなのにモタモタ。
先生のようにやったつもりだったが……


今日のかがりの作業を終えて、縦糸を輪っかから外す時のこと。
先生がデモでやってくださった糸は、引っ張るとスルリと外れる。
でも私が結んだ糸はガチガチにくっついて離れない。
必死に針でほぐしてはずしたが相当時間がかかった。
結び方、大事と身をもって学んだ次第。

本は直角大事!

折丁の順番を間違えないように、
各折丁の真ん中に糸を通すように……
ここを間違えてしまうと全てやり直しになってしまう。
間違えていないといいのだが。
折丁の真ん中を確実に開いて針を動かすのは意外と間違いやすい。

先生は真ん中にハサミとか道具を置いてデモ。
これなら間違えないで確実に真ん中に針を通せる。

ちょっとした一工夫でミスが防げるもの……と知る。このさりげない一工夫が学べるのも有難い。

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さりはま書房徒然日誌2025年7月16日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月十一日「私は印鑑だ」を読む

最初の文の「鬼火」とか「夜と同じくらい青い少年」という言葉に心惹かれて読み始める。
いろんなものに無邪気に印鑑を押してまわる世一の姿、印鑑という代物に作者は何を被せたのか。どこか幻想めいていて、どこか皮肉めいていて色々考えさせられた。

冒頭部分。「鬼火」「夜と同じくらい青い少年」という言葉と「誰の物でもなさそうな 合成水晶の印鑑」のコントラストに詩情を感じる。

湖上に鬼火が燃える晩
   その夜と同じくらい青い少年に拾われた
      使い古されてはいても
         結局は誰の物でもなさそうな
            合成水晶の印鑑だ。

 (丸山健二『千日の瑠璃 終結6』350ページ)

作者が印鑑に被せたものは何なのだろうか。最後の行と呼応する箇所である。

少年はまず
   自分の掌に強く押しつけ、

そこで私は
   彼が他の誰でもないことをきっちりと証明して
      完全に保証し

 (丸山健二『千日の瑠璃 終結6』350ページ)

ぺたぺた押してまわる世一の無邪気さ。
押される様々な物、人物も心に響く。

がらんとした通りを歩き
   道筋に整然と立ち並ぶ電柱の一本一本に私を押し、

 (丸山健二『千日の瑠璃 終結6』352ページ)

自我を超えて離郷を実行する
   前途有望な若者の心にもぺたんと押した。

 (丸山健二『千日の瑠璃 終結6』353ページ)

証明の拠り所とする印鑑を証明してくれるものはないという皮肉めいた最後。

そして
   生きとし生けるものの営みのすべてに押しつづけたにもかかわらず

      私を証明し
         私を保証してくれる代物はどこにも落ちていなかった。

 (丸山健二『千日の瑠璃 終結6』353ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年7月13日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結6』より五月八日「私は剃刀だ」を読む

山中の草庵にひとり暮らす老人。
剃刀の放つ輝きに、老人の心に甦る過去の記憶。
老人はかつて「どこまでも血なまぐさい雰囲気を有した 元陸軍一等兵」だった。
その記憶と自己嫌悪のせめぎ合いを記した文に、丸山先生にとって大きなテーマの一つ「帰還兵の悲惨」を思う。

げんに彼は
   幽谷に咲く美花を求めて山路を辿る少年が目に入るや
      銃床でもって撲殺した大陸の子どもの断末魔の姿を
         生々しく思い出し、


少年の震える体の動きが
   痙攣しながらたちまち虫の息となった
      異国の子どもたちにそっくりで、


だからといって
   慌てて眼を閉じても間に合わず、


正真正銘の悪行が鮮明に甦るばかりで
   大分薄れていたはずの自己嫌悪が
      津波のごとく押し寄せる。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結6』341ページ)

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