さりはま書房徒然日誌2025年2月8日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より一月一日「私は皮算用だ」を読む

元旦からリゾート計画による土地買収の皮算用で浮かれるまほろ町の人々。
世一の父親のやるせない呟き。
それに呼応する青い鳥の「さもありなん」という人の言葉でありながら、鳥の言葉にも思える調子の良さが印象的。

「というか
    これまで謂れのない罰をさんざん食らってきたんだから
       そろそろ帳消しされてもいい頃だ」

すると
   暖房のせいで冬場でもよくさえずる青い鳥が
      「さもありなん
          さもありなん」と鳴いて
             飼い主の一家に幸あれという意味を込めて
                今年初の美声を迸らせる。


( 丸山健二『千日の瑠璃 終結5』233ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年2月7日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十二月三十一日「私は大晦日だ」を読む

十二月三十一日は「私は大晦日だ」と「大晦日」が新年の決意を固めてもすぐにだらける人々を見つめ、そのなかで鳥籠の掃除に励む世一を見つめる。
「我を忘れた」というほど掃除に励む世一。たしかに掃除には嫌なこと、憂いごとを忘れさせてくれる魔法の力があるなあとおもう。
丸山文学の主人公たちは、よく掃除をする気がする。もしかしたら、丸山作品における「掃除」とは、俗世を、どうしようもならない自分を忘れる儀式なのかもしれない。

ところが
   酒をひと口飲んだ途端
      急にだらけてしまい
         あとはもうどうしようもないありさまだ。

少年世一は
   自室を隅々まで掃除し
      鳥籠をぴかぴかに磨き上げることで我を忘れた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』229ページ)


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さりはま書房徒然日誌2025年2月6日(木)

折丁の多いノートを入れる夫婦箱完成!
ー手製本工房まるみず組での製本基礎コースー

白い海のような大きな紙に緊張しながら、ペーパーナイフでざっくり切り出す。
こうして始まった三回のレッスンは、どれも初めてのことばかり。
先生のおかげでなんとか折丁の多いノートが出来上がる。


今度は、そのノートをしまう夫婦箱作り。こちらも二回ほどかかる。
夫婦箱は上の箱と下の箱がかぶさって、中の本が移動しないように保護するもの。
だからミリ単位での作業がとても大事……と知る。(夫婦箱だけではなく、製本はどれもそうだろうけど)
先生のおかげで計測ミスの失敗を回避すること二回くらいだったろうか。
おかげで時間はずいぶんかかったけど無事に完成。


白い大きな紙が、布が、自分の手でノートになるなんて!
ボール紙が、布が、夫婦箱になるなんて!
自分の手で作る……ということが稀になりつつある現代、手製本工房でのつくる体験はとても貴重だ。
それにスマホやパソコンが壊れても生きていけそうな自信が湧いてくる。



夫婦箱をつくるのはとても大変。
でも自分でせっせと書いたり、翻訳したりした文。あるいは短歌。
そうしたものをしまっておきたくなる魅力が夫婦箱にはある。
夫婦箱が作れるようになるように頑張ろう。

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さりはま書房徒然日誌2025年2月5日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十二月二十七日「私は杖だ」を読む

十二月二十七日は「私は杖だ」と、盲目の少女に両親が買い与えた白い杖が語る。
以下引用文。杖を与えられたときの少女の拒絶感が伝わってくる。「ヘビでもつかんだみたいに」は強烈な表現。

健常者の仲間から
   いよいよ本格的に外されてしまう時が訪れたことを悟り、

まるで蛇でもつかんだみたいに
   嫌悪を剥き出しにして投げ出し、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』210ページ)

以下引用文。なぜ少女が自分を嫌がるのか……という杖の考察は、丸山先生の観察眼だ。弱い者の視点に立つ……こうしたスタンスが丸山先生の作品のいいところなんだなと思う。

私を持ったがために自分に何が不足し
   何が欠けているかを
      改めて思い知らされ
         世間に知らしめることを恐れる余り
            なんとしても避けたかったに違いない。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』212ページ) 

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さりはま書房徒然日誌2025年2月4日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十二月二十五日「私は札束だ」を読む

十二月二十五日は「私は札束だ」と、リゾート開発計画をもちかける胡散臭い女たちが、世一の家に挨拶代わりに持ってきた札束が語る。

慎ましい暮らしに耐えてきた世一の父親。分厚い札束を目の前にした瞬間、あっけなく屈してしまう心が「手もなく叩き伏せられてしまい」という言葉によく表れている。

私は札束だ、

どちらかと言えば貧しい家庭に生まれ
   長年薄給に甘んじてきた家族を支えてきた男
      そんな彼の度肝を抜く
         恐ろしいまでに分厚い札束だ。

丘の家の主人は
   努めて冷静を装ってみたものの
      私が秘める途轍もない威力に
         手もなく叩き伏せられてしまい、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』202ページ)

それにしても江戸時代、浄瑠璃本の作者たちは作品でふんだんに金について言及しながら、文章の美しさを失わなかった。
そして金という人間が苦しめられる根本を追求することで、人間の有り様を鋭く見つめているように思う。
現代の小説で金について言及する作品があまりないのはなぜなのか?江戸時代と同じように金に翻弄されていると思うのだが。
そう言うところに小説が生身の人間の有り様から遠い存在になってしまっている理由がのでは……という気もする。

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さりはま書房徒然日誌2025年2月3日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十二月二十四日「私は雪だ」を読む

信濃大町のクリスマスイブの静けさ、人の営みを見つめる丸山先生の視線が感じられる文。
俗の気配を見つめ、雪の山を見つめ……雪の世界に暮らす丸山先生だから見えてくる雪景色。

やがて戸毎に欲望の色の灯が点り
   まほろ町の白くて柔らかな全景がぼうっと滲み、

屹然たる峰々も私のせいで円みを帯び
   どれもがその辺に横たわる名もない山と見分けがつかなくなり、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』198ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年2月1日(土)

「美しき野辺 沙羅木版画展」へ

   &

『うさぎがきいたおと』を読む

飯田橋の本づくり協会で開催中の「美しき野辺 沙羅木版画展」へ。
前回本づくり協会で購入した谷川俊太郎『詩画集 目に見えぬ詩集』で色づかいの印象的な、沙羅さんの版画を知った。

「美しき野辺 沙羅木版画展」の会場は、沙羅さんの工房がある安曇野の自然を思わせる色彩の木版画が何とも優しい雰囲気を醸していた。


この展覧会の思い出にと、本づくり協会を運営されている美篶堂さんの「かみじま あきこ」さんが文を書き、「さら」さんが絵を描かれ、美鈴堂さんが製本された「うさぎがきいたおと」特装版を購入する。

(↑「うさぎがきいたおと」の絵葉書より)

私がふだん気がつかないような音に耳を澄ます“かみじま“さん。同じように私には見えていない物を見つめる“さら“さん。二人の呼吸がぴったり合った絵本だと思う。
このウサギの絵が、下のウサギの言葉が、そんな二人の姿に重なる。

「なんだか きらきらして
    いろんな おとが かさなっていた。」

「いろんな いろも かさなっていて、ぼくは なんだかうれしかった」

(『うさぎがきいたおと』より)

ちなみに美篶堂さんは伊那にある手製本の製本所で、この絵本も一冊一冊が手作りで作られている。
文字も表紙の色に合わせたのだろうか、それとも絵本の優しい色彩の絵を際立たせるためだろうか、優しいグレーがかった文字で印刷されている。本の文字は黒だけでないんだと知る。

丁寧に隅々まで心を込めて手製本で作られたこの本は、手にしていると何とも心が落ち着いてくる。不安な世における灯火のようだ。
そんな『うさぎがきいたおと』が多くの人のもとに届きますように。

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さりはま書房徒然日誌2025年1月30日(木)

製本基礎講座 夫婦箱つくり前半の回

まるみず組での製本基礎講座16回目。
今回は夫婦箱づくり前半。夫婦箱はフタがかぶさる形の箱。この箱の下部分をつくる。

中に入れるものは三回通って作った糸かがりのノート。
このノートは大きな紙を切って、折庁にして糸でかがって、表紙のボール紙は切って、表紙のクロスは自分で裏打ちして完成した……紙と布と糸から作ったもの。


箱もボール紙と布から作る。

自分で作る……という感触が薄い現代にあって、こんなものが作れるんだ!と新鮮な驚きがある。

もちろん中のノートがキツキツだったり、
箱の隅の布の処理の仕方を先生に説明してもらって理解したつもりなのにいざハサミを動かすと全て忘れてモタモタ……
自分の忘れる能力の高さを確認して反省。

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さりはま書房徒然日誌2025年1月29日(水)

『千日の瑠璃 終結5』より十二月二十一日「私は床板だ」を読む

十二月二十一日は「私は床板だ」と、長年の歴史に耐えかねて抜け落ちた世一の家の台所の床板が語る。

床板が抜け落ちても、リゾート開発会社に土地を売り、儲かる気になっている一家は朗らか。新しい家の夢やら陽気に語り合う。

そんな一家にゲンナリする気持ちをあらわすかのような床板の様子が、何となくユーモラスである。

楽しげな雰囲気が引き継がれた夜半
   皆が眠りに就いた頃
彼らの夢の重さに耐えかねて
        私はもう一度どすんと抜け落ちた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』189ページ) 

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さりはま書房徒然日誌2025年1月28日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十二月十六日「私は鎖だ」を読む

十二月十六日は「私は鎖だ」と、まほろ町の自然そのものを鎖に見立てて語らせている。
おそらく丸山先生も自然豊かな大町の地に、何らかの鎖を感じながら過ごされてきたのだろうか。
もしかしたら普通の人なら見えない鎖なのかもしれない。その縛りを感じるからこそ、文学作品を書くことが出来るのかもしれない……と思った。

私は鎖だ、

鳥のように種類の多い人々を
   このまほろ町にがっちりと繋ぎ止めている
      目には見えぬ
         ときには見え過ぎることもある
            なんとも得体の知れない鎖だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』166ページ)

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