さりはま書房徒然日誌2023年10月20日

子規に、大道寺に、一箇所に留まることが書き手にとって大切な理由を見る思いがした

先週末、お庭見学のときに丸山健二先生は
「書き手はあちこちを移動したらダメなんだ。旅行しながら書くなんてもっての外」
というような趣旨のことを言われていた(うろ覚えだが)。
なぜか、その言葉が私の心に沈殿する。

そして20日、福島泰樹先生の「人間のバザール浅草」の講義は、中原中也、正岡子規、大道寺将司と濃密な講義。


子規にしても、大道寺にしても動くこと能わず、じっとしたままダイナミックで深い句を詠んでいるのはなぜだろう……と、その視線を想像する。

福島先生のヴォリュームたっぷりの資料からごく一部だけを引用させて頂く。

病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽をむさぼ果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものです

(正岡子規「病床六尺」より一部抜粋)

病に倒れてから、わずか六尺の布団の大きさの中で激痛に耐えながら生きた子規。
その歌の中でも、教科書によく採られているのが次の歌だそうだ。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

この歌は教科書によく掲載されている有名な歌らしいが、結構、解釈は色々分かれている気がする。

私は、脊椎カリエスに侵された自分の寿命を藤の短い花房に例えた無念の歌のような気がするのだが。
あと房の短い藤は芳香の強い品種なのでは……とも想像する。
強い香りを放ちつつも畳に届かない藤の花は、まさに自分の人生そのものに思えたのでは?と私は想像した。

ただ人によって、房と畳の間に空いた隙間の発見を面白いと思って詠んだ歌とか解釈も色々あるようである。

それから大道寺将司の句も色々教えて頂く。
名前も初めて聞く俳人だ。
三菱重工爆破事件で民間人の犠牲を出してしまい、死刑宣告を受けた。
40年間も窓のない独房に過ごし、犠牲者の冥福を祈り、最後は病で亡くなったそうだ。

以下、引用は福島原発事故以後を詠んだ句。

窓もない独房でどうやって想像したのだろうか?
鞦韆はブランコのことらしい。

波荒き暗礁(いくり)に立てる海鵜(うみう)かな

漕ぐ人もなき鞦韆(しゅうせん)の揺れにけり

荒布(あらめ)揺る森を汚染の水浸す

人絶えし里に非理なし蝉時雨

死にしまま風に吹かれる秋の蝉

(大道寺将司「残(のこん)の月」)

それから次の句も、狭い独房の中にいて何故こんなにスケールの大きな、躍動感あふれる句を詠むことができたのかと不思議な気がした。

海底(うなぞこ)の山谷渡る鯨かな

(大道寺将司「残(のこん)の月」)

福島先生の「子規は、病になってから心象風景の中でしか生きられない。」「大道寺は外界から切り離され、追憶の中にしかいない」という趣旨の言葉(大体の記憶でおぼろ)が心に残る。

心象風景のみに、追憶のみに生きて書いたからこそ、心に迫る作品を残したのかもしれない。

書き手にとって大事なことは、あちらこちら見て回ることよりも、一点を見つめ追憶を、心の風景を引き出して言葉に結びつけてゆくことなのかもしれない。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月19日(木)

篠田真由美「螺鈿の小箱」より「暗い日曜日」を読む

ー箱はそれぞれ違うストーリーを秘めている!ー

(写真 楼閣人物蒔絵宝石箱 プラハ国立美術館 19世紀)

全部で七つの短編からなる「螺鈿の小箱」は、それぞれの短編に「螺鈿の小箱」が出てくるらしい……。
と、二つ目の短編「暗い日曜日」で気がつく。
一つ目の「人形遊び」では「鞭」が、二つ目の「暗い日曜日」にはまた違う身近なものが収められている。
それぞれの箱の中身の思いがけない使われ方が面白い。

またラストの幻想味あふれる、意外な終わり方も素敵。
トリックも上手くいくかドキドキして、無事にミッションが遂げられた時には思わず安堵。
シャンソン「暗い日曜日」や様々なカクテルも。
(ただしノンアル派の私にはまったく分からないがでも飲める方なら更に楽しめるだろう)

何よりもいいと思うのは、米兵相手に歌を歌い、時に子供を廊下に置いてホテルの部屋に行かざるをえない女たちを書きながら、作者の目は女たちを咎めることはなく、むしろ寄り添う視点が感じられる点である。

……それにしても箱にはストーリーがあるもの。
出先なので歌自体は思い出せないのだが……。
前回の歌会で、桐の小箱に自分の子供時代の写真をしまっている母親との、はるか昔のやりとりを詠んでらした年配の女性がいた。
桐の箱に我が子の写真をずっと入れている……という風景に、一つの物語を感じてしまった。
そう、箱には無限のストーリーがあるのかもしれない。
そんなストーリーを「螺鈿の小箱」で読んでいくのが、楽しみである。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月18日(水)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ードッペルゲンガーの心情も、ドッペルゲンガーを見る方の心情もつぶさに語られている!ー

自分のドッペルゲンガーを見つめている「おれ」。
ドッペルゲンガーの心情を考え、批判的に眺めている幽霊の「おれ」。
ドッペルゲンガーが伝える義母殺害、自殺してからの自分への「おれ」の今の思い。

だんだん誰が誰なのか分からなくなってくる。

いや、どれもが「おれ」なのだ。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」ほど、ドッペルゲンガーの心も、ドッペルゲンガーを見る方の心もつぶさに語っている作品はない気がする。

まずは「おれ」が観察する船の上のドッペルゲンガー。

その船首に物憂げな様子で独り座し、

紛うことなき死者でありながら
永遠化へと昇華される稀有な存在を気どり、

重大な意味を孕む蛮行に出た生者になりきり
根源的な罪を枝葉末節なものとして片づけたがるおれになりきっている
そ奴は今

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻408頁)

このドッペルゲンガーは、死んだ状態で「おれ」に発見され、すでに埋葬されている。
そんな埋められた筈のドッペルゲンガーが、あれこれ自殺するまでを演じてみせる滑稽さを、以下のようにこう表現するか!と思った。

しかし、

ひとたび埋葬された者が
何をどうやってみたところで
その行為のどれもがおのれを愚化する隠語のように伝わりづらく、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻413頁)

そして「実際のおれ」は以下。
でも自殺しているから、生きているわけではない。

ならば、

陰々滅々とつづく空洞のごとき生からひたすら逃れんとする
あれからここに至るまでの
実際のおれはどうだったかというと、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻419頁)

何が真実で、何がドッペルゲンガーなのやら……文字を追いかけるうちに混沌としてくる感覚。不思議な体験である。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月17日(火)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー「夏の流れ」冒頭の文と比べ、丸山先生の文体と格闘する旅路を思うー

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」はワンセンテンスがとても長いが、今回の引用箇所はとりわけ長い。
これでワンセンテンスである。

長いから引用しようと思ったのではない。
「もう一人の自分」的発想に、ドッペルゲンガーの存在を思わせる箇所に、社会への想いが記された箇所に共感したから引用したのだ。

だが入力しているうちに、そういう当初の目的を忘れかける。
入力するだけでも疲れる。
これを頭の中で組み立てて文にまとめるとは、丸山先生はどんな発想で文を書き進めているのだろうか……。

ちなみに丸山先生の二十三歳の作品「夏の流れ」の冒頭の文は
「まだ五時なのに夏の強い朝の光は、カーテンのすきまから一気に差しこんできた。」
ととてもシンプルである。

通信士の文体のように簡潔な「夏の流れ」から半世紀以上、常に文体を進化させようと試みてきた丸山先生……。
このうねるような長文に到達するまでにどれほど手間と時間をかけてきたことか……。
ワンセンテンスに丸山先生が苦闘された長い時を感じてしまう。

文の中ほど「冷笑するもうひとりのおれを意識せざるをえなくなり」に、丸山先生にとってドッペルゲンガーは自分を冷ややかに眺めている存在なのだと思った。

文の最後「真っ昼間に出現した亡霊のように くっきりと透けて見えるのだった。」も、見えてくるのは望ましくない世界の姿ながら、もう一つの世界を示唆して、なんとなくドッペルゲンガー的。

冒頭「煢然」という言葉は知らず、辞書で調べてしまった。
日本国語大辞典によれば、「煢然」(けいぜん)は「孤独で寂しいさま。たよりないさま」とのこと。
「徹底的な煢然」とイカつい字面の漢字が並んでいると、半端ない孤独感が伝わってくる。

文の最後「惨めな未来」も、「独占社会」も大きく頷ける部分があった。
「現世」を「苦悩と情熱にあふれた色彩空間」と表現したのもまさにその通りだと心に残る

日本語は接続詞でつなげば、こんな風に長い文になるもの……だろうか。

昼間作業をしていたコワーキングでのこと。仕事の電話をしていた方が「文は長いと読んでもらえないから、できるだけ短く書いてください」と指示していた。


丸山先生は、そうした分かりやすい文を求める世の流れにわざわざ抗って、短い文体からこの長い文体に到達されたのだ……どれほど孤独な旅路であったことだろうか。

ゆえに、

その徹底的な煢然を
ありふれた空語にすぎぬなどとは軽々に決めつけられなくなり、

孤絶の道を一歩進むごとに
片時も気の休まらない状況に投げこまれて
これまでとはまた別種の厳しい日々を迎えそうな
そんな不安が急激に膨張し、

急に怒りっぽくなったかと思うと
今度はおのれ自身を虐待し始め、

その典拠を挙示することなく
自我を敵と見なして鎮撫に乗り出し、

だから、

よしや
虚偽ならぬ真理の含蓄全体が無意義であったとしても、

個々の人々の合図がいくら多種多様であったとしても、

かような現実の雛型はあまりにも厭わしく、

少しでももののわかった人間であるならば

絶対にこんな真似はしなかったはずだという意味を含めて
さかんに不平を鳴らし、

しからば
何ものにもましてこうした事態を避けるべきではなかったかと
そう言って冷笑する
もうひとりのおれを意識せざるをえなくなり、

果ては、

善の空白をいくら悪で補填したところで
なお虚無の疑念が残ってしまうばかりで、

両肩で世に吹き荒れる烈風をつんざきながら
満天下の耳目をそば立たせるほどの成果へと突き進むどころか、

病的な憎悪をかき立てる赤裸々な宿命や
取るに足らぬ出自を補って余りある
安逸な生活を送ることさえ不可能に思え、

かつ、

生き抜くための周到な努力を重ね、

真なるものを説く人物に親炙し、

絶対の信頼を置く相手に助言を求め、

のみならず修練を積み上げたものの、

暮らしそのものが虚飾に陥ることによって
心的に最大の損失を招くことになり、

それでもなお、

いかんともしがたい至らなさに付きまとわれ
純潔な精神を真剣に欲しながら終日のらくら過ごしてしまうという

そんな惨めな未来が、

悪業のみが報われる
代わり映えのしない独占社会と、

撹乱戦法がその出だしからしてきわめて順調に推移する
夏の凄まじい勢いの嵐と、

苦悩と情熱にあふれた色彩空間としての
無益に骨を折らせる無意味な奮起を強いる現世のかなたに、

真っ昼間に出現した亡霊のように
くっきりと透けて見えるのだった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻395頁

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さりはま書房徒然日誌2023年10月16日(月)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を読む

「風死す」にも繋がる世界がある!
ちなみに私が勝手に考える「風死す」を楽しむ方法

丸山先生の最後の長編小説「風死す」の話になると、悲しそうな顔をして全四巻のうちの1巻の最初あたりをまだ彷徨っているんです……と言われる方によく出会う。
先日、お庭見学のときもそんなことを言われている方がいた……。

そういう言葉を聞く度にに「なぜ、理解力の劣る私が全部読了したのだろうか?」と自分でも不思議に思う。
今も本棚で「風死す」の頁をペラペラ繰っては「読んだんだ、とりあえず」と確かめてきた。
「風死す」の読書体験は決して苦痛ではなく、すごく愉しみ溢れるものだった。
(学生時代、ダダの詩が専門だったので、私は元々ストーリー性や意味性のあまりない世界の方が親しみやすい特異体質、理解力軽視派なのかも)

私が考える「風死す」の楽しみ方を以下に四点ほど書いた。

「風死す」の楽しみ方其の1

「風死す」の頁を開けば、思いがけない言葉の組み合わせが怒涛の如く流れ込んでくる。意味を考えずに、童心に帰って、言葉のカレイドスコープをガシャガシャ動かして覗き込む気持ちでページを繰ってゆく……

「風死す」の楽しみ方其の2

普段無意識に思っていても言葉が思いつかなくて言えないような国家や偉い連中への鬱憤を語る部分をクローズアップして読んでスッキリする……

「風死す」の楽しみ方其の3

本のどこかに丸山先生自身が潜んでいることが多い。そんな隠れ丸山先生を探して「あ、いた!」と発見して、そういうことを考えていたんだ……と気づく

「風死す」の楽しみ方其の4

丸山先生の哲学、物理学などへの思いが語られていることも多く、たしかにその度に頭がついていけず優等生を前にした劣等生の気分になる。
でも大体の読者は丸山先生よりも年下ではないだろうか?
丸山先生の年まで頑張って勉強したら、こういう哲学的世界が分かるかも!と難しい考えはそのうち分かるかもとスルーして、ただ長生きしようと前向きに思う……もちろん理解できれば更に楽しいと思う。

以上、私が思う「風死す」の楽しみ方。
手にしている「風死す」は言葉のカレイドスコープだもの。ガシャガシャ動かす度に現れる言葉の形を楽しんで、ストーリーはあまり考えない方がいいのではないだろうか?

こんな「風死す」の楽しみ方を書けば、怒られてしまいそうだが。

でも先日、ある小説家(丸山先生ではない)が語られた言葉が心に残る(うろ覚えだけれど)。
ずっと詩歌の方が小説より格上だった。そもそも小説なんて詩歌と比べたら、たった200年の歴史しかないんだもの」と語られていたような……。
たしかに詩歌と比べたら、歴史の浅い小説だから形はこれから変わっていくだろうし、いろんな試みがあっていいのではないだろうか。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」は、そんな「風死す」の楽しみ方に繋がる部分のある、でも「風死す」よりはストーリー性のある作品だと思う。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」の以下引用部分は、丸山先生ご自身の書くことへの思い、それから社会への批判的思いがよく伝わってくる箇所のような気がする。
義母を殺めた青年がだんだん立ち直る場面。
ワンセンテンスの途中から部分的に引用。

それどころか、

心に刻印されている習熟した全てを語り尽くそうとし、

終わりなき服従を強いる文明を真正面から告発し、

理知に欠けるうらみがある伝統主義を墨守するための権威を失墜させ、

阿諛追従を重ねるしか能がない衆俗を激しく嫌悪し、

社会の仮面を暴く真理の片鱗をちりばめた、

それほどの熱い意志が言外に含まれている
まるで炎で書かれたのかのような、

そして、

絶品と目され
優雅な甘美さを具えた刀剣を想わせるような、

まさしく<次世代の詩>の濫觴をそこに見た思いがするような、

また
ありとあらゆる飾りを欠いた生の在り方を猛烈に欲するような、

その冷淡さはしかし
むしろ温情の裏返しではないかと思えるような、

生来の弱点を克服するという
おれをしてその境地へ至らしめるような、

自律的主体性を奪い
魂を縛るための拘禁服としての社会的統制を嗤えるような、

そんな斬新な作品を
干からびた心に命を吹きこむ文芸の蘊奥として
あざやかにものすることができそうに思えたのだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻347頁)

「風死す」は、丸山先生の出版組織いぬわし書房でまだ販売中だと思う。
興味のある方は以下をご覧ください。

https://inuwashishobo.amebaownd.com/pages/4062993/page_202007180848

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さりはま書房徒然日誌2023年10月15日(日)

信濃大町の丹精こめた丸山庭園が秋の歌を運んできた!

丸山健二先生の最後の長編小説「風死す」の購入特典で、信濃大町の丸山先生のお庭を見学する。

丸山先生が長い年月をかけてつくってきた庭。
毎日コツコツ草むしりをされ、庭木を掘っては配置換えをしたり、実生でツツジを育てたり、庭を横切る木の通路は先生みずからホームセンターで材木を購入して電動工具を使って補修されたり……

そんな時間と手間がたっぷりかけられた庭をゆっくり鑑賞した。

庭の至る所にある背の高い木はイロハカエデだろうか?
今年は暑さのせいで紅葉が遅れている……と丸山先生が残念そうにされていた。
それでも木の上の方はとても鮮やかな赤になっていた。

そんな庭の様子やら丸山先生の言葉やらに触発されたのだろうか。
帰りの電車の中で秋の短歌ばかりを読む。
ジャパンナレッジのおかげで、日本古典文学全集に収録されている万葉集やら古今和歌集などの歌集が、スマホでさっと読める時代はありがたい。
現代短歌もさっと読める時代だと更に嬉しいが……。

紅葉真っ盛りにならず残念そうな丸山先生の様子を思い出しながら読むうちに、次の歌が目にとまった。



しぐれよとなにいそげん紅葉(もみぢ)ばの千(知)しほになれば秋ぞとまらぬ

(為相百首「秋二十首」より)

意味

「しぐれなさい」と、どうして急がせるのだろうか。紅葉が紅に染められてしまば、秋という季節も留まらず逝ってしまうのに。


歌の心

早く時雨が来て紅葉を赤く染めよ、と思う一方、そうなると秋という季節も去ってしまう、と嘆く。


語句解説
・しぐれよとなにいそげん


 紅葉を染めるしぐれよ、早く降れ、というのである。

・千(ち)しほ

 幾度も染めること。紅の紅葉を「ちしほ」と形容することは鎌倉期から多くなる。


日本国語大辞典では、以下のように「ちしお」を説明
何回も染め液に浸して色を染めること。色濃く染めること。また、濃く染まった色や物。また、そのさま。

はるか昔1300年代の歌。

最初「しぐれよ」とサ行ラ行ヤ行でスタートするせいか勢いがあって、「いそぎけん」で加速する感があって面白い。
それに「しぐれよ」と「なに」の音の響きが清涼系の音、粘着系の音と対照的な気がする。


結句で「紅葉ば」と鮮やかに転換。
「千しほ」で更に強調。
スピードダッシュ、加速、華麗なる転換、強調とくるから、最後の「秋ぞとまらぬ」が印象的。秋がとまっちゃう……と不意打ちを喰らう気がする。


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さりはま書房徒然日誌2023年10月14日(土)

変わる言葉の風景ー喫茶店ー
時は経過すれど「ル・プティ・ニ」という空間は変わらず

もう35年以上前になるが、地下鉄早稲田駅を出てすぐの建物の2階に「ル・プティ・ニ」(フランス語で「小さな巣」の意味)という喫茶店があった。

昼でも薄暗い照明が心地よく、木の梁を見せるような内装、アンティーク調の家具、香りのいいコーヒー……。
学生には少し高い値段だったので、そうしょっちゅうは行けなかったけれど、私が喫茶店文化に触れた最初の店だ。

そんなル・プティ・ニも、社会人になってしばらくしてから早稲田の街を訪れてみれば、影も形もなく……。

駅の界隈から懐かしい蕎麦屋も、喫茶店も消えて、チェーンのコーヒー店とコンビニばかりが目立つ寂しい街になっていた。

それでも早稲田の街を訪れるたびに、ル・プティ・ニで過ごした友達との語らいのひとときがふと浮かんでくる。

その度に「あのときはどこに消えてしまったのだろうか……?」と思わずひっそり問いかけていた……。


さて今回、長野の方に用事があってきた。
途中どこかでコーヒーでも飲んで休憩しようと検索してみたら、「ル・プティ・ニ3」という店名の店が軽井沢にあるではないか。
同じ名前だ、ひょっとして……と物好きにも足を運べば、やはり同じ店だった。

早稲田に開店してから今年で45年め、早稲田のあとは目白、目白から軽井沢と、店の場所を変えつつ、続けられていたらしい。

店内の照明も、家具も早稲田のまま。
流れている音楽もあのときと同じ。
使われているコーヒーカップも見覚えがある……。
訊けば、カップは代えつつも同じメーカーの同じ柄のものを使われているそうだ。
コーヒーは、軽井沢に来てから自分で焙煎までするようになった……とのことで、更に美味しく、値段は多分早稲田の頃よりは安くなっていた。

大切な空間の光、音、香りが35年経過しても変わらず……学生を見守っていてくれたマスターたちは優しく軽井沢で迎えてくれ……変わらない空間があることに嬉しくなった。

(写真はル・プティ・ニ3の店内)

世界大百科事典で「喫茶店」の項目を調べてみる。

以下に英国の喫茶店、イスラム社会の喫茶店マクハー、日本の喫茶店について書かれている箇所を抜粋引用する。
それぞれ国ごとに喫茶店のミッションというか歴史が違うのだなと思った。

パリやロンドンの誰かが読み上げる新聞を聞く場としての喫茶店、
イスラム社会の若手作家が読者たちと語り合わす場としての喫茶店も魅力がある。
そして静かに軽井沢で時を刻むル・プティ・ニも……。

「喫茶店」についてー世界大百科事典より、英国、イスラム社会、日本の場合

イギリスの場合は,コーヒーと同時期にもたらされた紅茶,チョコレートなどのエキゾティックな飲料をも供した。しかし,喫茶店の歴史的意義は,それが文化面のみならず,政治や経済の面でも,情報交換と世論形成の場となった点にある。イギリスでは,新聞をはじめ初期のジャーナリズム,文芸批評,証券・商品取引などはほとんどコーヒー・ハウスを舞台として成立した。パリでもロンドンでも,初期の新聞は喫茶店でだれかが読みあげるのを〈聞く〉ものであったし,南海泡沫事件(1720)に至る異常な株式ブームの舞台もコーヒー・ハウスであった。世界の海運情報を独占し,大英帝国を支えたロイズ海上保険会社もコーヒー・ハウスから出発した。喫茶店はまた,反体制派のたまり場となることが多かったので,17,18世紀にはイギリスでもフランスでも,営業時間や内部での談論内容の規制が試みられた。しかし,イギリスの〈コーヒー・ハウス禁止令〉(1675)が11日で撤回されたように,規制は成功しなかった。 自由な雰囲気をもったイギリスのコーヒー・ハウスは18世紀中ごろから急に衰え,上流階級のクラブと都市下層民のパブにとって代わられてゆく。それは,コーヒーに代わって紅茶が国民的飲料となったうえ,紅茶が家庭内で飲まれるようになったこと,また大地主による支配体制が確立して社会の階層秩序が固定化したためである。コーヒー・ハウスとは異なり,クラブやパブは酒類を供し,各階層の表象となる。パリのカフェが芝居や音楽会と結びついて発展したのに対し,すでに19世紀のロンドンではコーヒー・ハウスはほとんどみられなくなる。

イスラム社会の場合

酒が厳しく禁じられているイスラム世界にあっては,マクハーこそが庶民のくつろぎの場であり,またマクハーには庶民の生活のたくましい鼓動が脈打っている。マクハーは娯楽の場であると同時に,社会生活に深く根ざしたものであり,アフガーニーやムハンマド・アブドゥフなど,近代のイスラムの改革思想家たちもカイロ下町のアタバ広場のマクハーに夜ごとに座り,エジプトの歴史を決する政治談義が繰り広げられた。またマクハーは文化を支える役割も果たしてきたが,その伝統は今でも残っており,たとえばエジプト文壇の第一人者,ナギーブ・マフフーズは金曜日の夜,カイロのリーシェというマクハーに必ず現れ,若手作家や読者たちと文学論を交わす風景が見られるが,そのような例はほかにも多い。

日本の場合

ヨーロッパの清涼飲料を飲ませる店であるソーダファウンテン,パリのコーヒーを飲ませる店のカフェをまねたのが,日本での喫茶店のはじまりであった。1888年(明治21)東京下谷黒門町にカフェをまねた〈可否茶館〉が開店したが,これは時期が早すぎて客の入りが少なく,すぐに閉店した。1911年東京銀座南鍋町に開店したカフェ・パウリスタをはじめとして,明治の末に東京や大阪の盛場にコーヒー等を飲ませる店としてカフエができた。日本の工業化を背景として,モダンな気分がするカフエは商売として成り立ち定着した。しかし,パリのカフェレストランをまねて,酒類や西洋料理を提供し,ウェートレスを客の横にはべらせてサービスをさせる店ができて,それはカフェーと称するようになった。昭和初期に音質,音量ともにすぐれた電気録音のレコードと電気蓄音器ができたので,それを使ってクラシック音楽を聞かせ,コーヒー等を飲ませる店として,まず名曲喫茶と称する喫茶店ができた。ミルクホールより高価にコーヒー等を売り,町娘風のウェートレスが持運びをしたので,カフェーよりも清楚で安価でモダンな感じがする喫茶店は知的な若者たちに支持された。つづいて軽音楽を聞かせる喫茶店ができてカフェーの客をうばった。それで,場末のカフェーなどのうち,歌謡曲や浪花節のレコードを聞かせて社交喫茶などと称する店ができた。江戸時代の水茶屋の現代化が喫茶店だとそのころはいわれた。


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さりはま書房徒然日誌2023年10月13日(金)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー言葉の思いがけない組み合わせを楽しむー

今日も読んだ箇所のあちらこちらから、気になった言葉を抜き出してみる。

こんなふうに、こんなところまで表現してもいいんだ!と思ったところもあれば、丸山先生らしい考えだなと思った箇所もある。

丸山健二塾ではオンラインだけれども、一語一語、一文一文、丸山先生と文の表現を確認してゆく。
「それはぶっ飛びすぎている」「それはわざとらしさが過ぎて嫌みな文である」「それは平板すぎる」……と細かくよく見てくださる。
それでは私がくじけると思うのか、たまにだけど優しく褒めてくれることもある。

そんなことをして何になるのか……と思う方も多いだろう。
芥川賞をはじめ文学賞のコメントを見ても、現在、文体について言及している方はほとんどいない。
大体の現代の文学関係者にとって、文体はどうでもいいことなのかもしれない。

でも短歌の方にとって、まずは文体(歌体?)ありき……のようである。

私が短歌をはじめたと知った知人は、その方の師である歌人、高瀬一誌の教えとして「他人と似ていない歌をつくれ」という言葉を引用されながら、
「歌はつくっているうちに自分の文体ができてくる」とヒヨッコの私にまず教えてくれた。

世間一般の小説と短歌の違いは、こうした文体へのこだわりの違いにあるように思う。

ただ、丸山先生の文体へのこだわりは、短歌の世界に匹敵するところがある。
丸山先生と短歌の福島先生は、指摘が重なる点も多い。
「それは説明的すぎる」とか……これは丸山先生が言ってらしたフレーズだと福島先生の短歌創作の講義でよく思う。

丸山先生は三十一文字をつくる感覚で、三十一文字を連ねるような感覚で、一語一語一文一文を大切にしながら小説を書いているのだと思う。それがわかる読者がとても少ないとしても決して妥協せず……。

丸山塾で指導を受けなかったら、たぶん短歌の世界に飛び込んでみようとは思わなかっただろう。丸山先生や福島先生のおかげで短歌まで世界が広がったなあと感謝しなければ。

浄福や薄幸の接ぎ目となる多彩な偶発

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻311頁)

まったくだしぬけに
比重がでたらめな複雑な感情が湧き起こって


(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻313頁)

世界は因果性の原理に支配されている

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻315頁)

けなげな労働者に対して目も耳も持たぬ搾取の世界を全面的に否定し

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻319頁)

自由は退却するという抜きがたい執念の棘を抜き取り

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻319頁)

歓喜と懸念はいつでも相関的な関係であり

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻321頁)

人は総じて根拠を欠いた存在であるとしながら

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻329頁)

宗教が善へと導くための目に余る不条理にも似た混濁

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻333頁)

精神の突然死

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻334頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年10月12日(木)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー心に残った言葉を抜き出してみたー
ー五音七音が多い!日本語の美は五音七音に宿るのかもー

津波を生きのびた青年が思い出してゆく介護の果てに義母を殺めた記憶、おのれも自殺した記憶。
今日は義母を殺めた場面を読む。


そして今日はワンセンスではなく、心に残った語をあちこちの文からパパッと抜き出してみた。

丸山先生の作品には、「楕円軌道」とか「連鎖」とか時々見かけて、妙に印象に残る言葉が幾つかある。

そうした言葉は、その都度違う使われ方をしている。
紙の本の方がいいけれど、こういうときは電書の方が比較できて便利な気もする。

ちなみに短歌は、小説からいいなあと思ったフレーズを取り出して、歌に組み入れることはよいそうである。

トリビュート丸山健二」……なんてテーマの、丸山作品から好きな言葉を抜いて短歌をみんなでつくる歌会があれば楽しそう……とも夢想する。

とりあえず次回の八丁堀の歌会、七首のうちの二首は今日の引用部分にある「連鎖」が心に残ったのか、自然と「連鎖」をいじりたくなり歌ができた。

「連鎖」という言葉は、何を持ってくるかでイメージ、世界がガラリと変わる言葉だと思う。

引用した他の箇所「あるかなしかのおのが存在」も、タイトルの「我ら亡きあとに津波よ来たれ」も数えたらほぼ七七でそのまんま下の句になる。
あとは上の句を考えたら一首できるなあ、でも下の句丸々だと工夫がないし……

「楕円軌道」や「輪郭線」も一字足せば七音になる……
なんて指折り数えつ丸山作品を読んでいる酔狂な読者は私だけだろうか…。

それにしても丸山作品の語をカウントしてみると、五音七音のフレーズが多い。日本語の美を追求すると、五音七音になるのかも。

魂の無意識のフォルムはただもう素晴らしいの一語に尽きる

(「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻284頁)

人生の初口に立ち勝るその末尾が
くっきりとした輪郭線に縁取られ


(「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻285頁)

心情の楕円軌道

(「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻290頁)

のべつ先祖帰り的な動きをする
畜生同然の人間の生


(「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻290頁)

否認の余地がない因果の連鎖を背に

(「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻291頁)


互いに排除し合う無と有が織りなす
およそちんぷんかんぷんな意味における
あるかなしかのおのが存在


(「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻296頁)



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さりはま書房徒然日誌2023年10月12日(木)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー平仮名、カタカナのさりげない選択で文が生き生きしている!ー

津波から助かった青年が、おのれのドッペルゲンガーを眺めるうちに自死した記憶、義母の介護の苦労を思い出し、ついには義母を殺してしまう。

引用箇所は、殺義母が最後の声にもならぬ声をあげて死んでゆく場面。
これもワンセンテンスである。

入力していると、「ここは漢字なんだ!」「ここは平仮名なんだ!」と読んでいるときはスルーしていたことを発見する。

丸山先生は「漢字、ひらがなは好みで、感覚で」と言われ、

短歌の福島先生は(短歌という限られた字数のせいもあるのだろうか)「漢字は象形文字。視覚的効果がある」と漢字にしたい箇所、ひらがなにしたい箇所のこだわりがあるようなことを言われ、

ちなみに女流義太夫の越若さんは「ここは漢字で語りたい。ここは平仮名で語りたい」と謎めいたことを言われ……(越若さんの言葉、いまだにどういうことなのか私には分からない。だが浄瑠璃をやっている方には分かる言葉のようである)、

とにかく日本語は平仮名、漢字、そしてカタカナから出来ている豊かな言葉なのだなあと思う。

丸山先生も「好みで、感覚で」と言われつつも、漢字とひらがなをしっかり使い分けされている……と入力しながら思った。

「強烈な圧迫によってすっかり閉じられた声門からわずかに漏れるのは」の箇所も、「強烈な圧迫」という漢字は目にずいぶんとインパクトがある。
「わずかに」と平仮名のせいで弱々しく絶えてゆく様が伝わってくる。

最後の「ほとんど解脱にも似た 喜ばしい最終回答が浮上」という表現は面白いなあと思う。「浮上」のパンチが効いて、天国にこれから行くんだという感じがある。

「魂の震撼が、妖異なる託宣に魅せられる神秘的な自意識が、忘れようとして忘れられぬ養母の生涯を包みこみ、渾然たるその精神をまるごと捉え、」という箇所、嫌でたまらない義母の姿がふっと消え、生は抜けてゆけど尊い存在に思えてくる。

最後の「なんだか……なんだかそうとしか思えなかったのだ。」の平仮名だらけの箇所は、平仮名ゆえに青年の慟哭が伝わってくる気がする。

漢字、平仮名、カタカナから成る日本語はほんとうに奥が深いと思う。

でも「誰とも似ていない歌をつくれ」と高瀬一志の言葉を教えてくれた知人が示すように、誰とも似ていない文を書かなくては……いや下手すぎて、タドタドしすぎて誰とも似ていないかもしれないとも思う。

だから、

もはや真情の結晶とやらを拠り所にして言い飾ることが困難な、

やむをえぬ場合以外はけっして慈愛のたぐいをせがまないという
悟性的理性の欠如が顕著な、

良識によって行いと言葉を律することができず、

不撓なはずの魂を改めて採寸してみれば
無に等しいただのがらくたにすぎないという、

そんなどこまでも本能的な自分と化し、

そこへもってきて、

魂を劫掠されっぱなしの
因業な老いさらばえた女という
哀れな犠牲者の口もとに締まりがないのは
すっかりがたがきた身体が最終的な休息を要求しているからだと気づき、

また、

強烈な圧迫によってすっかり閉じられた声門からわずかに漏れるのは
恐怖の悲鳴でもなければ
呪いつづけてきた世間にむけて救いを求める言葉でもなく、

いずれ灰燼と化す運命にある慰安を探し求めるかのような
無限に細分化できる
移ろいやすい呻きのみで、

おぞましいにもほどがある
その音源の道筋をたどってゆくと、

意図とは異なる結果によって
これが最後の生存となり
もはやふたたびこの世に生を受けないという、

ほとんど解脱にも似た

喜ばしい最終回答が浮上して、

歪曲された生と死の一体性が、

京楽的営為の終局に訪れる魂の震撼が、

妖異なる託宣に魅せられる神秘的な自意識が、

忘れようとして忘れられぬ養母の生涯を包みこみ、

渾然たるその精神をまるごと捉え、

なんだか……

なんだかそうとしか思えなかったのだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻268頁)

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