さりはま書房徒然日誌2023年10月23日(月)

丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー量子力学&パラレルワールドの影響から生まれた丸山健二文学のドッペルゲンガーの面白さ!ー

丸山先生になぜドッペルゲンガーがよく作品に出てくるのか質問したことがある。
丸山先生がドッペルゲンガーを書くのは、量子力学の影響が大きいらしい。
なんでも量子力学には、この世界が無数にある……というパラレルワールドの考えがあるそうだ(うろ覚え)。
この世界が無数にあるなら、もう一人の自分というものも確かにある……という思いからドッペルゲンガーを書かれているらしい。
ぼんやりした、うろ覚えの理解ではあるが)。
複数のページから一部ドッペルゲンガーの箇所を以下に抜粋した。
パラレルワールドを確信する丸山先生が書かれるドッペルゲンガーは、やけにリアル。
パラレルワールドの書き方も面白いと思う。
でもドッペルゲンガーと自分には微妙な差異がある。自分とドッペルゲンガーの違いを見つめ書いた作家というのは、あまり他にいないのではないだろうか?

げんに、

誰あらぬこのおれに化体し
真の自由への脈略をつける過程で頓挫した
知能も志も背丈も低いそ奴は、

紛うことなき死者のくせに
もっと大まかな言い方をすれば
<命を持たぬがらくた>であるにもかかわらず、

死者としての存在を拡大解釈しつつ
生者との境界を突き崩し、

本来生と同等の意味を持つはずの肉体から
魂の自由という権利をみずから剥奪して
あとはもう遺棄するしかない
無用なはずの身体を取り戻していたのだ。

(丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻478頁)

呼吸音のみならず生きている人間そのものの臭いまで放ち

(丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻478頁)

あの世とこの世のどこの存在でもなく
恐れ入るほかない精緻な色合いの幻影の

(丸山健二「我ら亡きあと津波よ来たれ」下巻483頁)

そうやって差し出される罪に関した言葉に大きな食い違いはなくても
実像としての本人のそれとは微妙な差異が感じられ、

たとえば、

前後の文言からして
地位や名誉という無化の宝以下の
死んだ価値を引きずっていることは確かで、

こちらの版元が出している丸山作品はどれも非常に幻想味があって好きなのだが、もう版元には在庫がないとのこと。
日本の古本屋にもあまりない。
だが図書館には比較的多く置かれているようだ。
幻想文学好きの方、丸山文学ファンの方が、図書館でこちらの版元の丸山作品に出会いますように。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月22日(日)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー丸山作品にトリスタン・ツァラ的精神を感じるー

丸山作品は後期になるにつれてストーリー性がどんどん薄くなって、言葉と記憶の断章の世界になってゆく……というようなことがよく言われている。
私もそう思う。
だがストーリー性が薄くなることを、難しくなるように捉えている人が多いが、果たしてそうなのだろうか?
学生時代、ダダやシュールレアリスムのフランス詩界隈が専門だった私にすれば、赤の他人がこしらえたストーリーにのって追体験することの方がはるかに難しく感じられる。
さらに他人が創ったストーリーを隅々まで記憶している人に出会うとびっくりする。
私は言葉は記憶しても、ストーリーはすぐに忘れてしまうところがある。

さて後期の丸山先生の作品を読んでいると、ダダの詩人トリスタン・ツァラの「帽子の中の言葉」を思い出す。
新聞の単語をチョキチョキ鋏で切って、帽子の中に入れて、取り出した単語を並べて、そのまま詩にする……というダダの詩の試みだ。
「帽子の中の言葉」というのは一種のポーズのような部分があるかもしれないが、アトランダムに並べられた言葉には機能性や意味性の手垢にまみれていない美しさを感じた。

後期の丸山作品にも、まったく思いがけない言葉と言葉を組み合わせることで、ある種の美しさが生まれ、新しい小宇宙が続々と誕生するような気がする。


トリスタン・ツァラで文学に触れた私にすれば、人生のカウントダウンをそろそろしようかな……というときに日本のトリスタン・ツァラと言いたくなる丸山文学に出会ったのは必然かも……と言うか、また出発点に戻ったという気がする。


思いもよらない言葉と言葉、概念と概念が出会って生まれる比喩の世界。面白いと思った箇所を抜き出してみた。

どこが面白いと思ったか分かって頂けるだろうか?

夕影がゆらめく生者と死者の夢幻的な境界という
神仏ですらうかつに接近できぬ帯域に身を置くことになり、


すると、

数千年ものあいだ収蔵されていた古文書を
なんの注釈を付けずにいきなり見せられたときに似た戸惑いを感じてしまい、

見境もなく我を忘れる混乱の終盤のあたりで
全的な人格崩壊に突き落とされ、

意味と尊厳を具えていたはずの人生が
たちまちにして没落してしまったのだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻467頁)

妙音を奏でながら田園地帯を通過する村時雨のさなか
無紋の布地のごとき心になったかと思うと

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻473頁)

あたかも、

単調な歌を詠唱しながら
畜舎から逃げだした仔牛を連れ帰る農夫が味わうような、

心の堡塁のなかに
好ましい追憶と夢だけを集めることに成功したような、

さもなければ、

よもやま話を満載した夜船とすれ違うときにも似た
そんな豊かな印象をおぼえたような、

希望の光が射し始めたとしか聞こえぬ
年季の入った鳥笛の音を耳にしたような、

昔語りに時を忘れる懐かしき人々のかたわらを
そっと通り過ぎて行くような、

底なしに深い安堵感と
けっして限界づけられぬ崇高な陶酔感に
いっぱいに満たされた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻473頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年10月21日(土)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー丸山文学の四つの魅力が織り込まれた長いワンセンテンス!ー

津波を生きのびた青年は、死せる自分のドッペルゲンガーに出会い、その姿に過去の映像を見る。義母の介護にヘトヘトになり、ついに殺めてしまったことを。そして飛び出していったことも。

次の引用箇所は、長いワンセンテンスである。

出だしの表現の美しさに釣られて読み、さらに丸山先生らしい国家や社会への見方に頷きながら読む。
最後のあたりは哲学的な部分も多く、私にはよく分からないながらも、「物分かりのいい現実」とか面白い表現に思わず読んでしまう。

この長い一文には、丸山文学の三大魅力、表現の美しさ面白さ、国家や社会に流されない目、哲学的な文がすべて織り込まれているのだなあと思う。

全部わからなくてもいいから、その魅力のうちどれか一つでも感じて読み進めてゆく……のが、後期の丸山文学を読むポイントになるのかもしれない。

それから「さらさらと流れゆく者」も、丸山文学に度々出てくる魅力的な存在で、理想とされるような生き方だろうか。
「さらさらと流れゆく」生き方に魅力を感じるかどうかが、丸山文学を好きになれるかどうか……なのかの分かれ目になるのかもしれない。

とはいえ、

目を奪わんばかりの推進力をもって
月が夜を織り
日が昼を織るなか、

経済という名の化け物が
有無を言わせぬ強大な力を発揮して
仕事にあぶれた者たちを等しく根絶やしにするという、

上層階級のふところを肥やすだけの政策を遮二無二達成したがる
国家の統治者という、

資本主義体制において随時行われている
法律の空洞化という、

お上の統制下にある真理にしか仕えられない
親譲りの愚民という、

市場価値を持たぬ者に対しては即座に心を石にしてしまう
冷血な吝嗇家という、

そんな理不尽かつ過酷な社会情勢などいっさい度外視して
さらさらと流れゆく者にとっては、

たとえ
どこの地であっても、

よしんばそこが
資本家どもの驕りと
それに付帯する利潤の容赦ない争奪の場である
花の都とやらであっても、

人里離れた辺境という
さびれきった印象が強調され、

そのせいかはともかく、

標準的な意義を宿す生涯の始点と終点にも、

より明確な形であの世と境を接するこの世にも、

物分かりのいい現実から切り離された良風美俗にも、

合目的性などまったく不必要な生き残り競争の激化にも、

独力でおのれを守る理想的な自己完結性にも、

斬新かつ絶大な慈しみの再発見にも、

まったく興味を持てなくなってしまった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻438頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年10月20日

子規に、大道寺に、一箇所に留まることが書き手にとって大切な理由を見る思いがした

先週末、お庭見学のときに丸山健二先生は
「書き手はあちこちを移動したらダメなんだ。旅行しながら書くなんてもっての外」
というような趣旨のことを言われていた(うろ覚えだが)。
なぜか、その言葉が私の心に沈殿する。

そして20日、福島泰樹先生の「人間のバザール浅草」の講義は、中原中也、正岡子規、大道寺将司と濃密な講義。


子規にしても、大道寺にしても動くこと能わず、じっとしたままダイナミックで深い句を詠んでいるのはなぜだろう……と、その視線を想像する。

福島先生のヴォリュームたっぷりの資料からごく一部だけを引用させて頂く。

病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤まひざい、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽をむさぼ果敢はかなさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、しゃくにさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものです

(正岡子規「病床六尺」より一部抜粋)

病に倒れてから、わずか六尺の布団の大きさの中で激痛に耐えながら生きた子規。
その歌の中でも、教科書によく採られているのが次の歌だそうだ。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり

この歌は教科書によく掲載されている有名な歌らしいが、結構、解釈は色々分かれている気がする。

私は、脊椎カリエスに侵された自分の寿命を藤の短い花房に例えた無念の歌のような気がするのだが。
あと房の短い藤は芳香の強い品種なのでは……とも想像する。
強い香りを放ちつつも畳に届かない藤の花は、まさに自分の人生そのものに思えたのでは?と私は想像した。

ただ人によって、房と畳の間に空いた隙間の発見を面白いと思って詠んだ歌とか解釈も色々あるようである。

それから大道寺将司の句も色々教えて頂く。
名前も初めて聞く俳人だ。
三菱重工爆破事件で民間人の犠牲を出してしまい、死刑宣告を受けた。
40年間も窓のない独房に過ごし、犠牲者の冥福を祈り、最後は病で亡くなったそうだ。

以下、引用は福島原発事故以後を詠んだ句。

窓もない独房でどうやって想像したのだろうか?
鞦韆はブランコのことらしい。

波荒き暗礁(いくり)に立てる海鵜(うみう)かな

漕ぐ人もなき鞦韆(しゅうせん)の揺れにけり

荒布(あらめ)揺る森を汚染の水浸す

人絶えし里に非理なし蝉時雨

死にしまま風に吹かれる秋の蝉

(大道寺将司「残(のこん)の月」)

それから次の句も、狭い独房の中にいて何故こんなにスケールの大きな、躍動感あふれる句を詠むことができたのかと不思議な気がした。

海底(うなぞこ)の山谷渡る鯨かな

(大道寺将司「残(のこん)の月」)

福島先生の「子規は、病になってから心象風景の中でしか生きられない。」「大道寺は外界から切り離され、追憶の中にしかいない」という趣旨の言葉(大体の記憶でおぼろ)が心に残る。

心象風景のみに、追憶のみに生きて書いたからこそ、心に迫る作品を残したのかもしれない。

書き手にとって大事なことは、あちらこちら見て回ることよりも、一点を見つめ追憶を、心の風景を引き出して言葉に結びつけてゆくことなのかもしれない。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月19日(木)

篠田真由美「螺鈿の小箱」より「暗い日曜日」を読む

ー箱はそれぞれ違うストーリーを秘めている!ー

(写真 楼閣人物蒔絵宝石箱 プラハ国立美術館 19世紀)

全部で七つの短編からなる「螺鈿の小箱」は、それぞれの短編に「螺鈿の小箱」が出てくるらしい……。
と、二つ目の短編「暗い日曜日」で気がつく。
一つ目の「人形遊び」では「鞭」が、二つ目の「暗い日曜日」にはまた違う身近なものが収められている。
それぞれの箱の中身の思いがけない使われ方が面白い。

またラストの幻想味あふれる、意外な終わり方も素敵。
トリックも上手くいくかドキドキして、無事にミッションが遂げられた時には思わず安堵。
シャンソン「暗い日曜日」や様々なカクテルも。
(ただしノンアル派の私にはまったく分からないがでも飲める方なら更に楽しめるだろう)

何よりもいいと思うのは、米兵相手に歌を歌い、時に子供を廊下に置いてホテルの部屋に行かざるをえない女たちを書きながら、作者の目は女たちを咎めることはなく、むしろ寄り添う視点が感じられる点である。

……それにしても箱にはストーリーがあるもの。
出先なので歌自体は思い出せないのだが……。
前回の歌会で、桐の小箱に自分の子供時代の写真をしまっている母親との、はるか昔のやりとりを詠んでらした年配の女性がいた。
桐の箱に我が子の写真をずっと入れている……という風景に、一つの物語を感じてしまった。
そう、箱には無限のストーリーがあるのかもしれない。
そんなストーリーを「螺鈿の小箱」で読んでいくのが、楽しみである。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月18日(水)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ードッペルゲンガーの心情も、ドッペルゲンガーを見る方の心情もつぶさに語られている!ー

自分のドッペルゲンガーを見つめている「おれ」。
ドッペルゲンガーの心情を考え、批判的に眺めている幽霊の「おれ」。
ドッペルゲンガーが伝える義母殺害、自殺してからの自分への「おれ」の今の思い。

だんだん誰が誰なのか分からなくなってくる。

いや、どれもが「おれ」なのだ。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」ほど、ドッペルゲンガーの心も、ドッペルゲンガーを見る方の心もつぶさに語っている作品はない気がする。

まずは「おれ」が観察する船の上のドッペルゲンガー。

その船首に物憂げな様子で独り座し、

紛うことなき死者でありながら
永遠化へと昇華される稀有な存在を気どり、

重大な意味を孕む蛮行に出た生者になりきり
根源的な罪を枝葉末節なものとして片づけたがるおれになりきっている
そ奴は今

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻408頁)

このドッペルゲンガーは、死んだ状態で「おれ」に発見され、すでに埋葬されている。
そんな埋められた筈のドッペルゲンガーが、あれこれ自殺するまでを演じてみせる滑稽さを、以下のようにこう表現するか!と思った。

しかし、

ひとたび埋葬された者が
何をどうやってみたところで
その行為のどれもがおのれを愚化する隠語のように伝わりづらく、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻413頁)

そして「実際のおれ」は以下。
でも自殺しているから、生きているわけではない。

ならば、

陰々滅々とつづく空洞のごとき生からひたすら逃れんとする
あれからここに至るまでの
実際のおれはどうだったかというと、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻419頁)

何が真実で、何がドッペルゲンガーなのやら……文字を追いかけるうちに混沌としてくる感覚。不思議な体験である。

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さりはま書房徒然日誌2023年10月17日(火)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を少し読む

ー「夏の流れ」冒頭の文と比べ、丸山先生の文体と格闘する旅路を思うー

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」はワンセンテンスがとても長いが、今回の引用箇所はとりわけ長い。
これでワンセンテンスである。

長いから引用しようと思ったのではない。
「もう一人の自分」的発想に、ドッペルゲンガーの存在を思わせる箇所に、社会への想いが記された箇所に共感したから引用したのだ。

だが入力しているうちに、そういう当初の目的を忘れかける。
入力するだけでも疲れる。
これを頭の中で組み立てて文にまとめるとは、丸山先生はどんな発想で文を書き進めているのだろうか……。

ちなみに丸山先生の二十三歳の作品「夏の流れ」の冒頭の文は
「まだ五時なのに夏の強い朝の光は、カーテンのすきまから一気に差しこんできた。」
ととてもシンプルである。

通信士の文体のように簡潔な「夏の流れ」から半世紀以上、常に文体を進化させようと試みてきた丸山先生……。
このうねるような長文に到達するまでにどれほど手間と時間をかけてきたことか……。
ワンセンテンスに丸山先生が苦闘された長い時を感じてしまう。

文の中ほど「冷笑するもうひとりのおれを意識せざるをえなくなり」に、丸山先生にとってドッペルゲンガーは自分を冷ややかに眺めている存在なのだと思った。

文の最後「真っ昼間に出現した亡霊のように くっきりと透けて見えるのだった。」も、見えてくるのは望ましくない世界の姿ながら、もう一つの世界を示唆して、なんとなくドッペルゲンガー的。

冒頭「煢然」という言葉は知らず、辞書で調べてしまった。
日本国語大辞典によれば、「煢然」(けいぜん)は「孤独で寂しいさま。たよりないさま」とのこと。
「徹底的な煢然」とイカつい字面の漢字が並んでいると、半端ない孤独感が伝わってくる。

文の最後「惨めな未来」も、「独占社会」も大きく頷ける部分があった。
「現世」を「苦悩と情熱にあふれた色彩空間」と表現したのもまさにその通りだと心に残る

日本語は接続詞でつなげば、こんな風に長い文になるもの……だろうか。

昼間作業をしていたコワーキングでのこと。仕事の電話をしていた方が「文は長いと読んでもらえないから、できるだけ短く書いてください」と指示していた。


丸山先生は、そうした分かりやすい文を求める世の流れにわざわざ抗って、短い文体からこの長い文体に到達されたのだ……どれほど孤独な旅路であったことだろうか。

ゆえに、

その徹底的な煢然を
ありふれた空語にすぎぬなどとは軽々に決めつけられなくなり、

孤絶の道を一歩進むごとに
片時も気の休まらない状況に投げこまれて
これまでとはまた別種の厳しい日々を迎えそうな
そんな不安が急激に膨張し、

急に怒りっぽくなったかと思うと
今度はおのれ自身を虐待し始め、

その典拠を挙示することなく
自我を敵と見なして鎮撫に乗り出し、

だから、

よしや
虚偽ならぬ真理の含蓄全体が無意義であったとしても、

個々の人々の合図がいくら多種多様であったとしても、

かような現実の雛型はあまりにも厭わしく、

少しでももののわかった人間であるならば

絶対にこんな真似はしなかったはずだという意味を含めて
さかんに不平を鳴らし、

しからば
何ものにもましてこうした事態を避けるべきではなかったかと
そう言って冷笑する
もうひとりのおれを意識せざるをえなくなり、

果ては、

善の空白をいくら悪で補填したところで
なお虚無の疑念が残ってしまうばかりで、

両肩で世に吹き荒れる烈風をつんざきながら
満天下の耳目をそば立たせるほどの成果へと突き進むどころか、

病的な憎悪をかき立てる赤裸々な宿命や
取るに足らぬ出自を補って余りある
安逸な生活を送ることさえ不可能に思え、

かつ、

生き抜くための周到な努力を重ね、

真なるものを説く人物に親炙し、

絶対の信頼を置く相手に助言を求め、

のみならず修練を積み上げたものの、

暮らしそのものが虚飾に陥ることによって
心的に最大の損失を招くことになり、

それでもなお、

いかんともしがたい至らなさに付きまとわれ
純潔な精神を真剣に欲しながら終日のらくら過ごしてしまうという

そんな惨めな未来が、

悪業のみが報われる
代わり映えのしない独占社会と、

撹乱戦法がその出だしからしてきわめて順調に推移する
夏の凄まじい勢いの嵐と、

苦悩と情熱にあふれた色彩空間としての
無益に骨を折らせる無意味な奮起を強いる現世のかなたに、

真っ昼間に出現した亡霊のように
くっきりと透けて見えるのだった。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻395頁

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さりはま書房徒然日誌2023年10月16日(月)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻を読む

「風死す」にも繋がる世界がある!
ちなみに私が勝手に考える「風死す」を楽しむ方法

丸山先生の最後の長編小説「風死す」の話になると、悲しそうな顔をして全四巻のうちの1巻の最初あたりをまだ彷徨っているんです……と言われる方によく出会う。
先日、お庭見学のときもそんなことを言われている方がいた……。

そういう言葉を聞く度にに「なぜ、理解力の劣る私が全部読了したのだろうか?」と自分でも不思議に思う。
今も本棚で「風死す」の頁をペラペラ繰っては「読んだんだ、とりあえず」と確かめてきた。
「風死す」の読書体験は決して苦痛ではなく、すごく愉しみ溢れるものだった。
(学生時代、ダダの詩が専門だったので、私は元々ストーリー性や意味性のあまりない世界の方が親しみやすい特異体質、理解力軽視派なのかも)

私が考える「風死す」の楽しみ方を以下に四点ほど書いた。

「風死す」の楽しみ方其の1

「風死す」の頁を開けば、思いがけない言葉の組み合わせが怒涛の如く流れ込んでくる。意味を考えずに、童心に帰って、言葉のカレイドスコープをガシャガシャ動かして覗き込む気持ちでページを繰ってゆく……

「風死す」の楽しみ方其の2

普段無意識に思っていても言葉が思いつかなくて言えないような国家や偉い連中への鬱憤を語る部分をクローズアップして読んでスッキリする……

「風死す」の楽しみ方其の3

本のどこかに丸山先生自身が潜んでいることが多い。そんな隠れ丸山先生を探して「あ、いた!」と発見して、そういうことを考えていたんだ……と気づく

「風死す」の楽しみ方其の4

丸山先生の哲学、物理学などへの思いが語られていることも多く、たしかにその度に頭がついていけず優等生を前にした劣等生の気分になる。
でも大体の読者は丸山先生よりも年下ではないだろうか?
丸山先生の年まで頑張って勉強したら、こういう哲学的世界が分かるかも!と難しい考えはそのうち分かるかもとスルーして、ただ長生きしようと前向きに思う……もちろん理解できれば更に楽しいと思う。

以上、私が思う「風死す」の楽しみ方。
手にしている「風死す」は言葉のカレイドスコープだもの。ガシャガシャ動かす度に現れる言葉の形を楽しんで、ストーリーはあまり考えない方がいいのではないだろうか?

こんな「風死す」の楽しみ方を書けば、怒られてしまいそうだが。

でも先日、ある小説家(丸山先生ではない)が語られた言葉が心に残る(うろ覚えだけれど)。
ずっと詩歌の方が小説より格上だった。そもそも小説なんて詩歌と比べたら、たった200年の歴史しかないんだもの」と語られていたような……。
たしかに詩歌と比べたら、歴史の浅い小説だから形はこれから変わっていくだろうし、いろんな試みがあっていいのではないだろうか。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」は、そんな「風死す」の楽しみ方に繋がる部分のある、でも「風死す」よりはストーリー性のある作品だと思う。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」の以下引用部分は、丸山先生ご自身の書くことへの思い、それから社会への批判的思いがよく伝わってくる箇所のような気がする。
義母を殺めた青年がだんだん立ち直る場面。
ワンセンテンスの途中から部分的に引用。

それどころか、

心に刻印されている習熟した全てを語り尽くそうとし、

終わりなき服従を強いる文明を真正面から告発し、

理知に欠けるうらみがある伝統主義を墨守するための権威を失墜させ、

阿諛追従を重ねるしか能がない衆俗を激しく嫌悪し、

社会の仮面を暴く真理の片鱗をちりばめた、

それほどの熱い意志が言外に含まれている
まるで炎で書かれたのかのような、

そして、

絶品と目され
優雅な甘美さを具えた刀剣を想わせるような、

まさしく<次世代の詩>の濫觴をそこに見た思いがするような、

また
ありとあらゆる飾りを欠いた生の在り方を猛烈に欲するような、

その冷淡さはしかし
むしろ温情の裏返しではないかと思えるような、

生来の弱点を克服するという
おれをしてその境地へ至らしめるような、

自律的主体性を奪い
魂を縛るための拘禁服としての社会的統制を嗤えるような、

そんな斬新な作品を
干からびた心に命を吹きこむ文芸の蘊奥として
あざやかにものすることができそうに思えたのだ。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻347頁)

「風死す」は、丸山先生の出版組織いぬわし書房でまだ販売中だと思う。
興味のある方は以下をご覧ください。

https://inuwashishobo.amebaownd.com/pages/4062993/page_202007180848

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さりはま書房徒然日誌2023年10月15日(日)

信濃大町の丹精こめた丸山庭園が秋の歌を運んできた!

丸山健二先生の最後の長編小説「風死す」の購入特典で、信濃大町の丸山先生のお庭を見学する。

丸山先生が長い年月をかけてつくってきた庭。
毎日コツコツ草むしりをされ、庭木を掘っては配置換えをしたり、実生でツツジを育てたり、庭を横切る木の通路は先生みずからホームセンターで材木を購入して電動工具を使って補修されたり……

そんな時間と手間がたっぷりかけられた庭をゆっくり鑑賞した。

庭の至る所にある背の高い木はイロハカエデだろうか?
今年は暑さのせいで紅葉が遅れている……と丸山先生が残念そうにされていた。
それでも木の上の方はとても鮮やかな赤になっていた。

そんな庭の様子やら丸山先生の言葉やらに触発されたのだろうか。
帰りの電車の中で秋の短歌ばかりを読む。
ジャパンナレッジのおかげで、日本古典文学全集に収録されている万葉集やら古今和歌集などの歌集が、スマホでさっと読める時代はありがたい。
現代短歌もさっと読める時代だと更に嬉しいが……。

紅葉真っ盛りにならず残念そうな丸山先生の様子を思い出しながら読むうちに、次の歌が目にとまった。



しぐれよとなにいそげん紅葉(もみぢ)ばの千(知)しほになれば秋ぞとまらぬ

(為相百首「秋二十首」より)

意味

「しぐれなさい」と、どうして急がせるのだろうか。紅葉が紅に染められてしまば、秋という季節も留まらず逝ってしまうのに。


歌の心

早く時雨が来て紅葉を赤く染めよ、と思う一方、そうなると秋という季節も去ってしまう、と嘆く。


語句解説
・しぐれよとなにいそげん


 紅葉を染めるしぐれよ、早く降れ、というのである。

・千(ち)しほ

 幾度も染めること。紅の紅葉を「ちしほ」と形容することは鎌倉期から多くなる。


日本国語大辞典では、以下のように「ちしお」を説明
何回も染め液に浸して色を染めること。色濃く染めること。また、濃く染まった色や物。また、そのさま。

はるか昔1300年代の歌。

最初「しぐれよ」とサ行ラ行ヤ行でスタートするせいか勢いがあって、「いそぎけん」で加速する感があって面白い。
それに「しぐれよ」と「なに」の音の響きが清涼系の音、粘着系の音と対照的な気がする。


結句で「紅葉ば」と鮮やかに転換。
「千しほ」で更に強調。
スピードダッシュ、加速、華麗なる転換、強調とくるから、最後の「秋ぞとまらぬ」が印象的。秋がとまっちゃう……と不意打ちを喰らう気がする。


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さりはま書房徒然日誌2023年10月14日(土)

変わる言葉の風景ー喫茶店ー
時は経過すれど「ル・プティ・ニ」という空間は変わらず

もう35年以上前になるが、地下鉄早稲田駅を出てすぐの建物の2階に「ル・プティ・ニ」(フランス語で「小さな巣」の意味)という喫茶店があった。

昼でも薄暗い照明が心地よく、木の梁を見せるような内装、アンティーク調の家具、香りのいいコーヒー……。
学生には少し高い値段だったので、そうしょっちゅうは行けなかったけれど、私が喫茶店文化に触れた最初の店だ。

そんなル・プティ・ニも、社会人になってしばらくしてから早稲田の街を訪れてみれば、影も形もなく……。

駅の界隈から懐かしい蕎麦屋も、喫茶店も消えて、チェーンのコーヒー店とコンビニばかりが目立つ寂しい街になっていた。

それでも早稲田の街を訪れるたびに、ル・プティ・ニで過ごした友達との語らいのひとときがふと浮かんでくる。

その度に「あのときはどこに消えてしまったのだろうか……?」と思わずひっそり問いかけていた……。


さて今回、長野の方に用事があってきた。
途中どこかでコーヒーでも飲んで休憩しようと検索してみたら、「ル・プティ・ニ3」という店名の店が軽井沢にあるではないか。
同じ名前だ、ひょっとして……と物好きにも足を運べば、やはり同じ店だった。

早稲田に開店してから今年で45年め、早稲田のあとは目白、目白から軽井沢と、店の場所を変えつつ、続けられていたらしい。

店内の照明も、家具も早稲田のまま。
流れている音楽もあのときと同じ。
使われているコーヒーカップも見覚えがある……。
訊けば、カップは代えつつも同じメーカーの同じ柄のものを使われているそうだ。
コーヒーは、軽井沢に来てから自分で焙煎までするようになった……とのことで、更に美味しく、値段は多分早稲田の頃よりは安くなっていた。

大切な空間の光、音、香りが35年経過しても変わらず……学生を見守っていてくれたマスターたちは優しく軽井沢で迎えてくれ……変わらない空間があることに嬉しくなった。

(写真はル・プティ・ニ3の店内)

世界大百科事典で「喫茶店」の項目を調べてみる。

以下に英国の喫茶店、イスラム社会の喫茶店マクハー、日本の喫茶店について書かれている箇所を抜粋引用する。
それぞれ国ごとに喫茶店のミッションというか歴史が違うのだなと思った。

パリやロンドンの誰かが読み上げる新聞を聞く場としての喫茶店、
イスラム社会の若手作家が読者たちと語り合わす場としての喫茶店も魅力がある。
そして静かに軽井沢で時を刻むル・プティ・ニも……。

「喫茶店」についてー世界大百科事典より、英国、イスラム社会、日本の場合

イギリスの場合は,コーヒーと同時期にもたらされた紅茶,チョコレートなどのエキゾティックな飲料をも供した。しかし,喫茶店の歴史的意義は,それが文化面のみならず,政治や経済の面でも,情報交換と世論形成の場となった点にある。イギリスでは,新聞をはじめ初期のジャーナリズム,文芸批評,証券・商品取引などはほとんどコーヒー・ハウスを舞台として成立した。パリでもロンドンでも,初期の新聞は喫茶店でだれかが読みあげるのを〈聞く〉ものであったし,南海泡沫事件(1720)に至る異常な株式ブームの舞台もコーヒー・ハウスであった。世界の海運情報を独占し,大英帝国を支えたロイズ海上保険会社もコーヒー・ハウスから出発した。喫茶店はまた,反体制派のたまり場となることが多かったので,17,18世紀にはイギリスでもフランスでも,営業時間や内部での談論内容の規制が試みられた。しかし,イギリスの〈コーヒー・ハウス禁止令〉(1675)が11日で撤回されたように,規制は成功しなかった。 自由な雰囲気をもったイギリスのコーヒー・ハウスは18世紀中ごろから急に衰え,上流階級のクラブと都市下層民のパブにとって代わられてゆく。それは,コーヒーに代わって紅茶が国民的飲料となったうえ,紅茶が家庭内で飲まれるようになったこと,また大地主による支配体制が確立して社会の階層秩序が固定化したためである。コーヒー・ハウスとは異なり,クラブやパブは酒類を供し,各階層の表象となる。パリのカフェが芝居や音楽会と結びついて発展したのに対し,すでに19世紀のロンドンではコーヒー・ハウスはほとんどみられなくなる。

イスラム社会の場合

酒が厳しく禁じられているイスラム世界にあっては,マクハーこそが庶民のくつろぎの場であり,またマクハーには庶民の生活のたくましい鼓動が脈打っている。マクハーは娯楽の場であると同時に,社会生活に深く根ざしたものであり,アフガーニーやムハンマド・アブドゥフなど,近代のイスラムの改革思想家たちもカイロ下町のアタバ広場のマクハーに夜ごとに座り,エジプトの歴史を決する政治談義が繰り広げられた。またマクハーは文化を支える役割も果たしてきたが,その伝統は今でも残っており,たとえばエジプト文壇の第一人者,ナギーブ・マフフーズは金曜日の夜,カイロのリーシェというマクハーに必ず現れ,若手作家や読者たちと文学論を交わす風景が見られるが,そのような例はほかにも多い。

日本の場合

ヨーロッパの清涼飲料を飲ませる店であるソーダファウンテン,パリのコーヒーを飲ませる店のカフェをまねたのが,日本での喫茶店のはじまりであった。1888年(明治21)東京下谷黒門町にカフェをまねた〈可否茶館〉が開店したが,これは時期が早すぎて客の入りが少なく,すぐに閉店した。1911年東京銀座南鍋町に開店したカフェ・パウリスタをはじめとして,明治の末に東京や大阪の盛場にコーヒー等を飲ませる店としてカフエができた。日本の工業化を背景として,モダンな気分がするカフエは商売として成り立ち定着した。しかし,パリのカフェレストランをまねて,酒類や西洋料理を提供し,ウェートレスを客の横にはべらせてサービスをさせる店ができて,それはカフェーと称するようになった。昭和初期に音質,音量ともにすぐれた電気録音のレコードと電気蓄音器ができたので,それを使ってクラシック音楽を聞かせ,コーヒー等を飲ませる店として,まず名曲喫茶と称する喫茶店ができた。ミルクホールより高価にコーヒー等を売り,町娘風のウェートレスが持運びをしたので,カフェーよりも清楚で安価でモダンな感じがする喫茶店は知的な若者たちに支持された。つづいて軽音楽を聞かせる喫茶店ができてカフェーの客をうばった。それで,場末のカフェーなどのうち,歌謡曲や浪花節のレコードを聞かせて社交喫茶などと称する店ができた。江戸時代の水茶屋の現代化が喫茶店だとそのころはいわれた。


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