さりはま書房徒然日誌2023年8月11日(金)旧暦6月25日

移りゆく日本語の風景ー蝶々ー

小学校の教室をのぞけば、かならずどこかに蝶々の絵があって、蝶々とは長い間私たちの生活で愛されてきたもの……と思い込んでいた。

だがジャパンナレッジ日本方言大辞典を見てみれば、そうではないらしい。以下、青字は日本方言大辞典より引用。

不思議なことに蝶(ちょう)はその美しい姿にもかかわらず、上代の日本人に好まれていなかったようである。不吉なものと考えられていたのか、文学作品にも採り上げられることがなかった。対して蜻蛉(とんぼ)は、古来日本人に愛されて、銅鐸の上にもその姿をとどめている。

かつて古代では、蝶は「かわびらこ」とも呼ばれていたようである。

日本国語大辞典を見てみれば、まったくない訳ではないが、たしかに蝶に不吉なものを感じていた気配がうかがえ、例文も非常に少ない。

*宇津保物語〔970~999頃〕藤原の君「我袖はやどとるむしもなかりしをあやしくてふのかよはざるらん」

日常見かけるものであっても、時代によってだいぶ感じ方は違うようである。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月10日(木)旧暦6月24日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー人間という複雑怪奇な生き物を言葉にするとー

屋形船おはぐろとんぼに転がり込んできた女と不自由なところのある女の子供。

船頭の大男が女とわりない仲になってゆく様子を、おはぐろとんぼが語る言葉の紡ぐイメージの面白さ。

わかりやすい文にしてしまえば、うんざりするような展開だろう。

でも言葉の力によって陳腐さが消え、ただ人の心の不思議さにうたれるばかり。

例えば、押しかけてきた女に夢中になってゆく大男の関係は

その関係たるや

緑林の奥で立ち腐れになってゆく

ぼろぼろの空き家……

沈んだばかりの太陽の下で

だらりとぶら下がった素干しの魚……

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」159頁

どうしても離れることのできない二人を、死のイメージを重ね、美しく書く。

死ぬ直前まで減じない

人生そのものに受ける痛手……

しずしずと進む葬列と一対をなす

ぴかぴかの銀盤の月……

そういったもののように

いつまで経っても付きまとい、

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」161頁)

大男と女の幸とは縁遠いこれからを暗示する言葉も、そこまで幸せに縁遠い人生なのか……と心に残る。

踊り狂いたくなるほどの

一世一台の夜が訪れるどころか

食べ残しの弁当を開くや胸にそっと宿るような

その程度のささやかな平安すら得ることもあたわず

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」162頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月9日(水)旧暦6月23日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むーおはぐろとんぼが語る自然にどこか異界感がある理由を考えるー

古びた木造の屋形船おはぐろとんぼが語る周囲の自然。

それは人間の目に映る自然とはどこか違う、この世のものではない感じがどこかする。

見慣れた風景が、言葉の力によって異次元のものに見えてくる……のが丸山作品の魅力と思いつつ、なぜ?と読む。

昼といわず夜といわず

偶然に満ちた生命の営みにきびきびした態度で臨み

深い味わいにあふれて

ほろ苦い色調を帯びた大自然は、

物の道理を闡明してくれそうな青雲をたなびかせる天空の隅々までもが

魔道のごとき雰囲気をかもし

次々に図星を指しつづけることによって

瀕死の生き物に立ち直らせる隙を与えず

(丸山健二「おはぐろとんぼ」下巻121頁)

「昼といわず夜といわず」のリズム感、「きびきびした態度」の躍動感が自然の鼓動を伝えてくる。

「深い味わい」「ほろ苦い色調」という言葉に、自然の奥行きへと心が誘導されてゆく。

「物の道理を闡明してくれそうな青雲」「魔道のごとき雰囲気」で、私たちがイメージしたこともないような妖しい自然のイメージが、むくむくと湧き上がってくる。

「次々に図星を指しつづける」不思議な光景が見えてくるのは、人ではない「おはぐろとんぼ」ならでは。

「瀕死の生き物」で「生」と「死」のイメージが喚起されてゆく。

この世のものではない……に連なるイメージを積み重ねてゆくことで、屋形船おはぐろとんぼから、ここにあるんだけど、どこか違う世界の存在を教えてもらう気がする。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月8日(火)旧暦6月22日

移りゆく日本語の風景ー妹背山婦女庭訓の烏帽子職人という設定に思うー

この夏、大阪の国立文楽劇場で上演されている文楽公演2部「妹背山婦女庭訓」は、蘇我入鹿、藤原鎌足、天智天皇の時代が舞台。

江戸時代の浄瑠璃作者・近松半二らが書いて1771年に上演された作品とのこと。

作者・近松半二にとっても遥か遠い時代、見たこともない雲の上の存在の人たちのことを想像をめぐらして書いたのだろう……と感慨にうたれる箇所が随分とある。

烏帽子も、江戸の作者が天智天皇の時代らしくしようと工夫をこらした、そんな設定のひとつだろう。

藤原鎌足の嫡男・淡海は烏帽子職人の求馬に身をやつしているとき、杉酒屋の娘お三輪に惚れられてしまう……。

そんなストーリーに烏帽子職人は江戸時代にも存在する職人だったのだろうか……と烏帽子を調べてみる。

ジャパンナレッジ日本大百科全書によれば、烏帽子とは

冠は公服に、烏帽子は私服に用いられた。形は上部が円形で、下辺が方形の袋状である。地質については、貴族は平絹や紗 (しゃ) で製し、黒漆を塗ったもの。庶民は麻布製のものであったが、中世末期より、庶民はほとんど烏帽子をかぶらなくなり、貴族は紙製のものを使うようになった。

ジャパンナレッジ日本国語大辞典によれば

鎌倉末期からいっそう形式化し、紙製が多くなり、皺(しぼ)を設けた漆の固塗が普通となったため、日常の実用は困難となった。一般に儀礼の時のほかは室町末期から用いなくなった。

ある時代までは庶民もかぶっていたが、中世末期から庶民はかぶらなくなり、室町末期からすべての身分において廃れていったものらしい。

たぶん作者・近松半二は天智天皇の時代らしさをだすために、求馬を烏帽子職人という設定にしたのではないだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2023年8月7日(月)旧暦6月21日

移りゆく日本語の風景ー街路樹ー

大阪は……と言っても文楽劇場界隈から難波にかけてだけなのかもしれないし(東京も木を切りたがる知事がいるから同じようなものだが)、どうも街路樹が寂しい街のような気がする。

どういう事情からかなのかは余所者には分からないが、根本から切り倒された街路樹の痕跡だけが点々と続いている悲しい通りもある。

街路樹が残っている通りにしても、どうも出来るだけ小さく切り詰められていたり、あまり手入れがされていない感じがある。

安全に、交通の妨げにならないように街路樹の手入れをするには財源も、意欲もいることだろう。自治体の財政状況もあるだろう。

しかし緑の貧弱な都市は、その都市の政治をあずかる人の心を反映しているような気もして、実に寂しいものである。

写真は、埼玉県所沢市の航空公園がある界隈である。文楽の地方公演で訪れたとき、堂々たる街路樹がつづく美しさに圧倒された。

ただジャパンナレッジの日本大百科全書で調べてみると、「難波の街路にクワが植えられたと日本書紀にある」そうだ。クワの街路樹が緑陰をつくる大阪の街……なんて、今では想像もできないが、そんな風に緑を愛しむ心の人がこの街を治めていた時代もあったのだ……。

以下、ジャパンナレッジの日本大百科全書の「街路樹」の説明より。

市街地の道路の両側に列植された樹木をいう。

(省略)

 世界でもっとも古い街路樹は、約3000年前にヒマラヤ山麓 (さんろく) につくられた街路グランド・トランクであろうといわれる。これはインドのコルカタ(カルカッタ)からアフガニスタンの国境にかけての幹線の街路であり、一部は舗石を敷き詰め、中央と左右の計3筋に並木が連なっていたという。中国では約2500年前の周 (しゅう) 時代にすでに壮大な並木、街路樹がつくられていた。

 日本の並木、街路樹の起源も古く、『日本書紀』によると、敏達 (びだつ) 天皇(在位572~585)のころ難波 (なにわ) の街路にクワが植えられたとある。聖武 (しょうむ) 天皇(在位724~749)のときには、平城京にタチバナとヤナギが植えられている。さらに遣唐使として入唐(にっとう) した東大寺の僧普照 (ふしょう) が754年(天平勝宝6)に帰朝し、唐の諸制度とともに並木、街路樹の状況を奏上し、759年(天平宝字3)に太政官符 (だいじょうかんぷ) で街路樹を植栽することが決められた。これが行政上の立場から街路樹が植えられた始まりである。桓武 (かんむ) 天皇(在位781~806)時代には、平安京にヤナギとエンジュが17メートル間隔に植えられ、地方には果樹の植栽が進められた。その後、鎌倉時代にはサクラ、ウメ、スギ、ヤナギが植えられている。江戸時代になると、各地にマツ、スギ、ツキ(ケヤキの古名)などが植えられた。

 近代的な街路樹は、1867年(慶応3)に横浜の馬車通りにヤナギとマツが植えられたことに始まる。1874年(明治7)には東京の銀座通りにサクラとクロマツが植えられたが、木の成長が悪く、1884年になってシダレヤナギに植えかえられている。(省略)

 1977年(昭和52)の調査(林弥栄ほか)によると、東京都23区内の街路樹総本数は15万5000本、三多摩地区5万1000本、総計20万6000本である。このうち、本数の多い樹種はイチョウ、プラタナス、トウカエデ、シダレヤナギ、エンジュ、サクラ、ケヤキの順となっている。(以下省略)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月6日(日)旧暦6月20日

移りゆく日本語の風景—鈴虫—

先日、江戸時代はほとんど無視されていたのに、近年になって取り上げられるようになった花、ヒマワリについて書いた。

ヒマワリとは逆に昔は文学作品によく取り上げられながら、近年あまり見かけないなあと思う存在がある。鈴虫である。

鈴虫は、源氏物語の第三八帖(源氏五十歳の夏から秋八月までを描いた)の巻名にもなるくらい、平安時代から親しまれてきた。

ジャパンナレッジで「鈴虫」を調べて見ると、「鈴虫の宴」とか「鈴虫の鉄棒」という言葉があって、人々の生活に鈴虫が親しまれていた様子が伝わってくる。

*源氏物語〔1001~14頃〕鈴虫「こよひは、すずむしのえんにてあかしてんとおぼしの給ふ」

「鈴虫の鉄棒」という言葉は初めて知った。「突きながら歩くと、鈴虫の鳴き声のように鳴りひびく鉄棒」だそうで、こんな例文がある。何やら涼しげである。

*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕一六「鈴虫の鉄棒 ちりんちりんちりんと鳴る鉄棒也

鈴虫の例文はとても多く、折に触れて日本人の心を動かす存在だったのだなあと思う。

*枕草子〔10C終〕四三・虫は「虫は すずむし。ひぐらし。てふ。松虫

*藤六集〔11C初〕「おほしまにこころにもあらずすすむしはふるさとこふるねをやなくらん」

*源氏物語〔1001~14頃〕鈴虫「げに、こゑこゑ聞えたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし」

*桂宮丙本忠岑集〔10C前〕「山のはに月まつむしうかがひては、きんのこゑにあやまたせ、あるときには、野辺のすずむしを聞ては、滝の水の音にあらかはれ」

*日葡辞書〔1603~04〕「Suzumuxi (スズムシ)」

*俳諧・鶉衣〔1727~79〕前・下・四八・百虫譜「促織(はたおり)鈴虫くつわむしは、その音の似たるを以て名によべる、松むしのその木にもよらで、いかでかく名を付たるならん」

*幼学読本〔1887〕〈鈴虫権左衛門鈴虫権左衛門西邨貞〉四「松虫と鈴虫とを父にもらひたり、いづれも小さなる虫籠の中に入れおけり」

その他、鈴虫勘兵衛とか鈴虫権左衛門という江戸時代の歌舞伎の唄い方もいるようで、美声だったのだろうなあと想像する。

鈴虫には、その他の意味として「主君の側近くにはべり仕える人。侍従。おもとびと」とか「(鈴口から殿様を迎えるところから)正妻のこと。妾を轡虫(くつわむし)というのに対していう」という意味もあるようである。

なお鈴虫と松虫の違いについて、ジャパンナレッジの日本国語大辞典によれば以下のように記されている。

「鈴虫」と「松虫」の名は、いずれも中古の作品から現われるが、現在のように「リーン、リーン」と鳴くのを「鈴虫」、「チンチロリン」と鳴くのを「松虫」というように、鳴き声によって区別することができる文献は近世に入るまで見当たらない。そのうえ、近世の文献においても両者は混同されており、一概にどちらとも決め難い。初期俳諧でも、現在の鈴虫と解せる例と松虫と解せる例と両様である。しかし現在では、中古の作品に現われるものについては、「鈴虫」を「松虫」と、「松虫」を「鈴虫」と解するようになっている。

かつては文学作品に、日常生活にあふれていた鈴虫だが、近代小説ではあまり見かけない気がする。

私自身も今年になってから、鈴虫の声を一度も聞いていない。

今回鈴虫の写真を探そうとして、フリーの写真サイトを探しても殆どなかった。

いまや鈴虫は遠い存在になってしまったのではないだろうか。寂しいことである。

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さりはま書房徒然日誌2023年8月5日(土)旧暦6月19日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船の放つ怒りに心ざわついてー

屋形船おはぐろとんぼは川をくだって、うつせみ町にさしかかる。

うつせみ町の様子に向ける、おはぐろとんぼの怒りの言葉の数々を読んでいると、うつせみ町とは今の日本そのものではないか……と思えてくる。

つまり、丸山先生が現代の日本に向けて放つ怒りの言葉なのだ。

最近好まれる文学は「わかりやすい」「共感できる」「心地よい」ものが多い気がするけれど、私は怒りの矢をドンピシャで放って、怒るべき状況をかわりに表現してくれる文学の方がいいな……。

でも怒りを含んだ文学はとても少なくなってきている気がする。

根拠が薄弱な悪税に苦しんでも

正面切って異を唱える度胸を示そうとはせず

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻44頁)

国民の最大の共有財産たる戦争放棄の憲法が蔑ろにされ

民主的で平和を愛する国家から

侵略的で帝国主義的な強国へ乗り換えようとしている

まさにこの時において

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻45頁)

自由と平等の全否定にほかならぬ国家権力に対し

怒りのかたまりとなって突進して行く者は皆無であり

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻45頁)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月4日(金)旧暦6月18日

移り変わる日本語の風景ーひまわりー

夏の花といえばヒマワリ。映画にも、ポピュラーミュージックにも、アニメにも、朝ドラにも、絵画にも……ヒマワリはテーマとして使われ、ヒマワリが氾濫している感じがある。

だが日本でヒマワリが題材として文学作品で扱われるようになったのは、近年になってからではないだろうか?

ヒマワリは北米原産、日本に渡来したのは江戸時代らしい。だが江戸時代、殆ど文学作品にヒマワリは登場しない。ヒマワリの異名、向日葵、ひぐるま、にちりんそう、てんがいばな等で調べても、どうも愛されているような気配のある例文はない。

ジャパンナレッジで調べてみると、多いのは植物図鑑からの例文。

*花壇地錦抄〔1695〕四、五「日廻(ヒマハリ) 中末 葉も大きく草立六七尺もあり。花黄色大りん」

*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ヒマワリ 向日葵」

*訓蒙図彙〔1666〕二〇「丈菊(ぢゃうきく) 俗云てんがいばな 丈菊花(ぢゃうきくくゎ)一名迎陽花(げいやうくゎ)」

文学作品への登場はとても少ないし、たまに見かけてもヒマワリが可哀想になる例文である。

*雑俳・大花笠〔1716~36〕「日車じゃ・旦那にほれた下女が顔」

次の山口誓子の俳句になってから、だんだん風情を感じてもらうようになったのではないだろうか?

*炎昼〔1938〕〈山口誓子〉「向日葵(ヒマハリ)に天よりも地の夕焼くる」

中原淳一が少女向け雑誌「ひまわり」を刊行したのは、山口誓子の俳句から九年後のことである。だんだんヒマワリの華やかなイメージも受け入れられるようになってきたのではないだろうか?

なお「てんがいばな」という響きが素敵だな……と思ったけれど、「ヒガンバナ」と「ヒマワリ」、両方を指すらしい。ずいぶんかけ離れた花同士のように思うが、なぜなのだろう?

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さりはま書房徒然日誌2023年8月3日(木)旧暦6月17日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻を読むー屋形船おはぐろとんぼが徒然川の流れをたとえればー

「おはぐろとんぼ夜話」下巻の冒頭は結構手強かった。

屋形船おはぐろとんぼが徒然川の流れを見ながら、あれこれ思索に耽る場面。

「おはぐろとんぼ」は丸山先生自身でもあると思う。

つまり川の流れが丸山先生の心に喚起する概念が、どっと私の心に流れ込んでくるようなものだ。

その思念の深さに、気がつけば置いてけぼりをくらっている。でも落ちこぼれているのに日本語が心地よく苦にならない……それではいけないと二度繰り返して読む。

以下の引用箇所は、屋形船おはぐろとんぼが徒然川の流れをあれこれと色んなものにたとえている……のだと思う。

擬人法でずっと語られてゆく徒然川……その例えがとても面白く、今までとは違う世界が見えてくる。

とくに最後の「十字形花冠が似合う節足動物」という漢字が喚起するイメージに惹かれてしまった。

十字形花冠とは「4枚の同形同大の花弁が十字の形に並んでいる花冠で、アブラナ科の花がこれに属する」(旺文社 生物事典」)らしい。

節足動物はエビ、カニとかクモやダニらしい。

「十字形花冠が似合う節足動物」という言い方は思いもよらなかったけれど、ぴったり。

そしてカタカナで「ナノハナ」「クモ」と表現されるものとは、まったく別の生き物になるようなパワーがある。

言葉とは不思議なもの……言葉の力を感じた次第。

植物のあいだで交わされる言語を解すること

それ自体が無理だというのに

波音の波長をさかんに切り替えながら

執拗に迫り、

街角の小暗い場所に設置されている

青春の放胆さがいっぱいに書き殴られた

ぼろぼろの伝言板を

いかにも唐突に想起させるのだ。

もしくは

漢方薬のようにじわりと効いてくる

もってのほかの苛立ち……

端午の節句の由来をたどるくらい

どうでもいいこと……

悪評を買うばかりの

お上への泣訴……

恒常的に不快に思ってしまう

アルファにしてオメガなるもの……

それらを

なぜか十字形花冠が似合う節足動物といっしょに

みごとに連想させ

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」下巻10ページ)

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さりはま書房徒然日誌2023年8月2日(火)旧暦6月16日

丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻を読みながら比喩を少し考える

丸山文学の面白さのひとつに、思いもよらない比喩表現がある。

こんな例えは出会ったことがない……という表現に次から次へと遭遇。

その度に、わたしの思い込みの激しい頭で決めつけていた世界が少しずつ崩壊して、新しい目でこの世を眺めている面白さがある。

だが考えてみれば、学校の国語教育では「比喩」の意味を教わることはあっても、その楽しみ方や比喩にチャレンジした作文なんて教えを受けることはほとんどなかった。

こんな現状では、たぶん丸山作品の面白い比喩に出会っても、たいがいの人は「これなに、分からない」で終わってしまうのではないだろうか?残念なことではある。

さて、船頭の大男がゆきずりの女との恋を楽しみ、屋形船おはぐろとんぼが憤りにかられつつも、次第に諦めてゆく場面。

全体にぬらりとした感じの妖美を漂わせる

紫がかった峰の端に

なぜか碾き割麦を彷彿とさせる月がゆらりと昇る頃には

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻582頁)

心になぜか「碾き割麦を彷彿とさせる月がゆらりと昇る頃」というフレーズが刺さり、イメージを反復したり、なぜ気になるのか……考えてしまう。

まず無知の悲しさで「碾き」という漢字の読みが自信なく、調べて「ひき」でよい……と確認。

さらに「碾き割麦」というものがイメージできないながら、麦畑の麦のイメージと月を重ねることで、心惹かれてゆく。

「碾き割麦」を調べてみると、イメージとは少し違うなあ……

ミューズリーの押し麦みたいなものかなあ……

サイズ感は違ってもゴツゴツした感じが月とぴったりかも……

小さい感じが夜空に遠く見える感じと重なってよいかも……などと思う。

碾き割麦」も、「月」も自然界のものだから、かなりイメージが違うようでも、意外とぴったりするのだろうか?

それとも、ここは大男の恋の場面だから、「ぬらり」「峰」「碾き麦」とかセクシュアルな意味も重ねているのだろうか?

英語だったら、”as”とか”like”が使われて、訳文も「〜のように」とワンパターンになりがちだけど、日本語だと「彷彿とさせる」という言い方でバリエーションをつけられるのも面白いと思う。

続く大男が女との恋に激情を感じる場面でも、麦関連の比喩で例えている。

有数の穀倉地帯に

突如として殷々たる砲声が轟くような

強烈な衝撃が立てつづけに走り

(丸山健二「おはぐろとんぼ夜話」中巻582頁)

読んでいると違和感がなく、かけ離れた例えが不思議に心に残る。穀倉地帯も、恋も自然の営みだからなのだろうか?

そういえば、丸山健二塾でご指導をいただいていると、こんな発想で比喩を使うのか!とやはり比喩がとても勉強になることを思い出した。

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